清貧思想と清豊思想?
伊東 藤野さんの『16歳のお金の教科書』に出てくる本多静六は、投資好きで資産を築くわけですが、儲けた金を全部寄付してしまうという清々しい人物ですよね。お金儲けは悪ではないこと身をもって証明した方です。
藤野 日比谷公園にレストランがありますけど、あれを設計したのも本多静六です。魅力的なものを作っても、それを永続的に持続させるためには、そこに商売ができる場所を作って稼ぐということが大切なのだという考えでレストランを設計したところが素晴らしいですね。
伊東 藤野さんは「清貧」という言葉に対して「清豊」ということをよくおっしゃっていますね。清豊という考え方は、日本社会では、まだまだ理解されていないですね。
藤野 清貧の思想が強すぎて、「清くなるためには貧しくなければならない、貧しいことは清いことだ」という、さらに進めて「貧しいことは正義だ」みたいな間違った考えがあります。必ずしも貧しいことが正しいこととは限らないというのが当たり前なのですけどね。清貧の思想が強すぎることによって「清い」と「豊か」ということは相反することだと思っている人が凄く多いために世の中が暗くなるのだと思います。清いためには豊かになってはいけないと、逆に金儲けしたい、リッチな生活をしたいということは健全な欲望なのですが、そのためには清くあってはいけないという、そんな感覚もありますね。それらは清貧思想からきたもので、それがもたらした弊害は非常に大きいと思います。
伊東 明暦の大火の際に木曾の材木を買い集めた話もどちらかというと大火を金儲けに利用した悪の権化みたいな切り口で言う人も多いですよね。
藤野 そんなものを使って金儲けしたケチな男であるという解釈をする人は結構いるわけで、瑞賢評に関してはそこから語るという人も多いわけです。その事績をどう捉えるかによって、河村瑞賢の評価は真逆になりますね。
金持ちの目標は金儲けではない?
伊東 瑞賢が、ほかの商人に先駆けて木曾の材木を買い占めたのは、大火で焼け出された人々が困っているからです。春の江戸でも野宿は厳しく、生き残れても、その後に凍死や餓死をした人たちが多くいたといいます。それを防ぐためには、何はなくても衣食住です。衣の部分は分かりませんが、瑞賢は食住の部分で多大な貢献を果たしました。また疫病を防ぐべく、人を集めて遺骸の処理を迅速に行わせることで、さらに名を挙げました。そのついでに儲けて何が悪い、と僕は言いたいですね。現代でも、金儲けしたいと思って成功したアントレプレナーなんて、いないんじゃないですか。困っている人を助けたいとか、社会貢献をしたいとか、地方起業だったら雇用を創出したいとか、新しい「便利」を創り出したいというのが、主な動機じゃないですかね。