大事なのは自分の適正に気付くこと?
伊東 一昔前に「自分探し」という言葉が流行りましたが、すぐに否定に走る識者がいて、今はすたれています。その挙句が若者の保守化です、「自分探し」が格好悪いことになり、それなら「分かんないから、安定した道を行けばいいや」となったのではないかと思います。
藤野 なるほど。
伊東 僕は「自分探し」大賛成です。得意や強みを見つけるのと同様、自分の適性を見つけることも大切です。 僕が日本IBMに勤務していた頃、様々な立場の人から「君は出世する。きっと人の上に立つようになる」って言われていたのですが、自分では違和感を覚えていました。それで、30歳を過ぎたころにふと気付いたのです。自分は人の上に立つ人間ではなくて、自己完結の仕事をすべき人間だと。
藤野 自己完結の仕事ですか。
伊東 考えてみれば、人と一緒に仕事をするのが好きではなく、一人で何かをやればいい仕事ができても、誰かの意見が入ると、いい結果が出ないことに気づきました。これは自分が正しくて他人が正しくないというのではなく、誰かの意見を入れねばならないことになると、突然、やる気が失せてしまう自分にも責任があったのです。それゆえ自己完結の世界に近づくために、脱サラしてコンサルタントになったのですが、それでも提案に対して、クライアントが首を縦に振らなければ進められないということで、これも完全な自己完結ではありませんでした。それゆえ、さらなる自己完結を目指して作家になった次第です。作家という職業は、ほぼ自己完結なので極めて快適です。その意味では、自分に一番合った席を、ようやく見つけられたと思っています。
藤野 自分の適性がある日、突然いきなりポンと来る事はあまりないですよね。なにか適切な回り道というのが必要ですね。どんな職業であっても、結局は自分らしくしか出来ないですから、そういう意味ではどんなことをやっても結局、自分というものが見えてくると思います。だから、何でもいいから最初は決め打ちでもいいから縁のあるものをやってみる。やっていくうちに修正をかけていくというのが現実的だと思います。
伊東 適正なんて、なかなか分からないですからね。30歳を過ぎるまで、僕も分からなかったですから。だから「自分探し」は大賛成です。ただし、「何をやりたい」と「何に向いている」かは別です。僕も起業家になりたいと思ってきましたが、今では向いていないと思っているので、やらなくてよかったと、つくづく思っています。つまり、「己を知る」ことが何よりも大切なのです。歴史上の人物で言えば、己を知っていたからこそ、徳川家康は天下が取れたのだと思います。取り立てて才能がなく、凡庸な己を自覚することで、家康は慎重に判断してから動き、最後には天下人となりました。信長や信玄、そして秀吉など、彼の周囲には敵味方を問わず、きらびやかな才能を持っている人材が豊富でしたから、家康としては、とても敵わないと思ったのでしょうね。でも、家康は己を知っていたのから、自分のやり方でしか彼らには勝てないと自覚していた。そこに彼の強みがあるのですね。そして、自分ひとりの才能だけでは敵わないので、家臣の結束を強めて自分を補完させることによって、自分を大きくするということもできたのです。