「俺、聞いたんやけど『いいとも!』終わるってホンマ?」※1
30年以上続いた『笑っていいとも!』の終了を発表するきっかけを作るという大役を担ったのは笑福亭鶴瓶だった。
「来年の3月で『いいとも!』終わる」
タモリが淡々とした調子で答えると、観客はもちろん、出演者たちも驚きの声をあげた。それもそのはず。その時、このことを知っていたのは舞台上ではタモリ本人と笑福亭鶴瓶、そして中居正広だけだった。番組のプロデューサーですら、当日それを知ったという。ごく限られたフジテレビの上層部とタモリの話し合いで決められたものだったらしい。
鶴瓶が番組の終了を知らされたのは、発表の前日だった。タモリから直接電話があり、「火曜日に発表するからきてくれ」と告げられたという。
鶴瓶がレギュラーを務めていた木曜日ではなく、火曜日にわざわざ“乱入”させて発表したのは、意味がないわけはないだろう。
もちろん、タモリが大事にしている生放送のハプニング性を“乱入”という形で演出するということが一点。そして、何より、タモリの笑福亭鶴瓶に対する信頼と仁義があったのだろう。
東京進出の足がかりとなった いいともレギュラー
鶴瓶とタモリを最初に繋げたのは、意外な人物だった。
「ものすごくおもしろい人がいる」※2
そんな一言を添えて若き日の鶴瓶のもとに一本のカセットテープが送られてきた。
送り主は井上陽水である。そこには『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が録音されていた。
鶴瓶は、そのテープを再生すると、そのおもしろさに驚愕した。すぐに鶴瓶は、自身のラジオ番組のゲストに呼んだのだ。まだお互いに一般的には無名の存在の頃だ。
その後、2人はまったく別の道に進む。
タモリはカルト芸人から一転、『笑っていいとも!』に抜擢され、日本のお昼の顔に。
鶴瓶は、東京で局部露出事件を起こし、大阪に帰って、大阪ローカルのカリスマに。
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