キリンの首
俺は刑期の3分の2を過ごした段階で、仮釈放となった。
慌ただしく出所手続きをとり、無事にN刑務所から解放された。
胸いっぱいに吸いこんだシャバの空気は、美味いけれど、乾いていた。
季節は間もなく春になろうとしていた。吸いこんだ空気で、喉の奥がひんやりした。
出所直後、マスコミのカメラに追いかけられるかと思ったが、まったくなかった。
藤田優作は、オワコンなのだ。
数年前にちょっとだけ名が売れた拝金主義者。
若くも財産もない俺に、追いかけ回される価値などない。
顔を指されることなく、いつでも電車に乗れるというのは、これはこれで快適だった。
出所して1ヶ月後。俺はとある住所を訪ねた。
六本木の裏通りにひっそりと建っているオフィスビル。
その最上階に、堀井健史はいた。
約3年ぶりに会うオッサンはジーンズにTシャツ、ジャケットの姿だった。ほとんど変わっていない。唯一、穿いているジーンズがダメージ加工ではなく、普通のストレートタイプになったぐらいだ。
招かれた部屋は、メインルームにソファと机と棚が置いてあるぐらいで、殺風景だった。人はいない。おそらくオッサンがいくつか持っているダミーの事務所のひとつだ。
オッサンは意図の読み取れない微笑みで、言った。
「よく会ってくれる気になったな」
「あんたの方に用があるなら、どんな手を使っても、いずれ会いにくるだろうからね。こっちから乗ってやった」
「お前なら、そうすると思ったよ」
「わかったつもりになるなよ」
俺はオッサンが勧めるより先に、ソファに座りこんだ。
久しぶりにオッサンの顔を見て、自分でも驚くほど冷静だった。
やっぱり怒りがこみあげて、殴りかかるかもしれないと思ったが、そんなことはない。懐かしいかというと、そうでもない。何というか、高校時代に死ぬほど辛い練習をさせられたけど、全国大会で優勝させてくれたサッカー部の顧問に再会したような、妙に苦い気持ちだった。
俺はソファに深く腰を入れ、背中を預けた。
「あんたの仕掛けた、手の込んだヤマトグループ乗っ取り計画のせいで、俺は犯罪者になり、懲役をくらったんだぞ。まず詫びの言葉ぐらいあってもいいんじゃないの?」
「詫びがほしいのか」
それは違う。俺はオッサンに頭を下げてほしいわけじゃない。だいいち謝られたところで、もう刑務所を出た。すべて終わったのだ。
じゃあどうしてほしいのか、俺自身もよくわからないのだが──。
「……まあ、土下座させるつもりで来たわけじゃないしな。あんたがしおらしく、謝ってる姿なんて、ダサすぎて見たくない」
「変わったかな、優作は」
優作。オッサンにそう呼ばれて、怒濤のごとく過ごした社長時代を思い出し、少しだけ心に感傷が走った。
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