マネーゲームはもういい
N刑務所の面会は、懲役囚の等級によって1ヶ月の面会の回数が決まっている。
俺はすべての懲役囚のなかで上位数パーセントの等級だから、最高の5回だ。
俺は衛生係の仕事も、真面目にこなしてきた。刑務所にはパソコンに触ったことがない人や、言われたことを言われた通りにできない人、基本的な足し算割り算もろくにできない人が結構いる。満足に動けない老人も多い。
そういう連中に比べれば、曲がりなりにも1兆円企業の社長だった俺は、だいぶ有能だった。ここでは俺はれっきとしたエリートの側なのだ。少しも誇らしくないが。
月5回の面会時には、割と頻繁に、両親が来てくれた。刑が確定したあたりから、周囲から大波が引いていくように人が去ったけれど、父親と母親は俺を見捨てなかった。
北関東でひっそり暮らしていた両親。息子があれだけ社会で叩かれまくり、彼らも近所で肩身の狭い思いをしていたはずだ。けれど俺を責めたりはしなかった。
「寒くはないか」「体調は?」の何でもない言葉が、心に沁みた。
儲けまくっていたときに親孝行らしいことを何もしなかったのに、収監されて、こんなところまで面会に来てくれる。親不孝な自分が、心底情けなかった。もう親にだけは迷惑をかけたくないと思った。
面会室で、杉作くんにその気持ちを語った。
「ひどい息子だよな」
「いやいや親っていうのは、子どもが生きて元気でさえいてくれたら、嬉しいものらしいんですよぅ。それに藤田さんは世の中をひっくり返すような、すごいことをいっぱいやったじゃないですかぁ。きっと自慢の息子ですよぅ」
杉作くんは俺を気づかってか、励ましてくれた。アクリル板の向こうで猫背で、俺に顔を突き出している。少し太った腹がきつそうだ。
俺は五厘刈りの自分の坊主頭を撫でた。
「こんな頭になった息子が?」
「若返って、いいんじゃないですかぁ。坊主のままシャバでご両親に会いに行けば、子どもに戻ったみたいって、笑ってくれますよぉ」
と言って、杉作くんは歯を見せた。
彼は俺がオッサンに会う前から住んでいた、ボロアパートの住人仲間だった。
オッサンの差し金で起業すると決まったとき、彼を抱き込み”鳩ゲー”の開発を手伝わせた。そしてネクサスドアの前身会社の副社長に就かせ、いいときは300人ほどの部下を率いる身分だった。俺ほどじゃないが、そのときの年収は億単位はあっただろう。
俺の転落と合わせて、会社は解散した。
杉作くんも無職になってしまったが、一時期でもビジネスマンとして最高に贅沢な時間を過ごせたことを、恩義に感じているようだ。面会に来てくれるし、差し入れもしてくれている。
舎弟分というわけではないけれど、転落した後も離れなかった、貴重な仲間だった。
杉作くんは相変わらず、語尾の伸びる特徴的な話し方で言った。
「収監から、もう半分くらいになりますかぁ?」
「昨日で3分の2になったよ。あと残り3分の1かと思うと、だいぶ気が楽だ」
「じゃあサンピンですね。仮釈放されるかもしれませんね」
「どうかな。昔はサンピンでも割と仮釈放されたらしいけど、いまは全受刑者の1パーセントぐらいらしいからな」
「詳しいっすねぇ」
「2年近くシャバに出てなければ、いろいろ学ぶよ」
「もう2年近くですかぁ……」
と言って杉作くんは遠い目をした。俺は自嘲気味に、ため息をついて言った。
「シャバでは紙の本なんか滅多に読んだことなかったのに、ここじゃ読書三昧だ。信じられるか? IT企業のカリスマだった男が、新聞に目を通してるんだぜ」
「ひぇえ」
「夕食に白米にきなこをまぶしたご飯がたまに出るんだ。そんなもん食えるかよ! と始めのうちは思ってた。でも、いまは平気で食べてる。納豆も食えるようになった。自由時間はNHKの朝ドラを見てる。主演の女優は可愛いよな。毎朝8時15分のドラマを楽しみにしていて、正座して見てる生活なんだぜ」
杉作くんは感心するように目を丸くした。
「人は変わるもんですよねぇ」
「衛生係は、年寄り受刑者の下の世話もしなくちゃいけない。仕事中に頭のおかしいヤツに因縁つけられたり、いきなり殴らたりもする」
「大変だぁ。藤田さん、有名人ですからねぇ」
俺は口を真一文字に結んだ。
「ぜんぶ我慢。耐えるしかない。というか、適応だな。この環境に俺は適応している。俺は罪を犯したんだから。それは事実として受け止める。反省という名の適応で、黙々と過ごしていくよりないさ」
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。