わたしはいまや、絶滅危惧種です。どんな種か。「手書き作家」という名のそれです。
小説家の多くはパソコンのキーボードで文字を打ち込んでいますが、わたしの場合、四百字詰め原稿用紙に鉛筆で書きつけています。
かつて小説家は皆、手書きでした。それがワープロに代わり、現在ではパソコンのワープロソフトを用いるのが主流、というか常識です。
先人の顰にならって、というのではなく、ただなんとなく、わたしは手書きでやっているのですが、別段不便も感じず、これからも絶滅危惧種でありつづけると思います。文字を刻み込むような実感、身体を使って言葉を産み落とすような感覚がむしろ、小説を書くうえで自分にはしっくりくるようです。
ですから、書斎にはさしずめ鉛筆と原稿用紙、ファックスつき固定電話、あとは辞書があれば充分。もちろんパソコンはありません。パソコンにとどまらず、デジタル端末のたぐいもない。携帯電話やスマートフォンも持っていないし、電子メールなどあつかったこともない。年に一度か二度、おそるおそるインターネットに触れてみることはあります、もちろんだれかに教わりながらですが。
そうした姿勢は現代の日本で暮らし、仕事をする人間としてどうかとも思うのですが、でも一方で、常にどこかでだれかとつながっていようとする人の振る舞い、心理が不思議に見えることもままある。
情報の奴隷
いまはインターネットで日常生活に必要なたいていの情報は抽出できます。非常に便利ですから、大多数の人はインターネットに頼りきっていますし、それは依存と呼んでも差し支えない程度になっている。遮断されれば生活に重大な影響をおよぼすでしょう。
インターネットにそこまで支配されては、あなたが真に欲しいものを、目指すべきところを正確に把握するのは不可能です。なにせ自分を見失っているのですから。
たとえば、ある目的地にたどりつくためのルートを知るうえで、インターネットは非常に役立ちます。そういう機能はどんどん活用したほうがいい。むやみに利便性を排除する必要はどこにもないとわたしも思います。