「貴様! やすしと知っての狼藉か!!」
電話口から、耳をつんざくような怒声が響き渡った。
その声の主は横山やすしである。
横山やすしといえば、当時人気絶頂の漫才師。と同時に暴力的で「怖い」代名詞のような先輩だった。怒らせたら何をされるかわからない。そんな先輩に笑福亭鶴瓶はイタズラ電話をかけたのだ。
ことの発端は明石家さんまに鶴瓶が「さんま、今日は借り物競争しよう」と提案したことだった。
大阪に拠点を置いていた頃からさんまと鶴瓶は仲が良かった。
鶴瓶は1972年、さんまは1974年と落語入門が近く、さんまの師匠である笑福亭松之助が、鶴瓶の師匠である笑福亭松鶴を“兄貴”のように慕っていた同門という関係もあり、よく楽屋で一緒になると話し込んでいた。ともに落語家でありながら、落語自体はあまりやらず、早くからテレビやラジオで脚光を浴びたという境遇が似ていることも、彼らが惹かれ合う要因だったのかもしれない。
さんまに限らず鶴瓶はその「人たらし」っぷりで、数多くの人物と“深くて広い”付き合いをしている。
今回から数回にわたって、その「人」にスケベな鶴瓶の交流を見ていきたい。
果てしない悪ふざけ
2人は吉本興業と松竹というライバル会社の若手のエース同士という立場でありながら、兄弟のように仲が良かった。
もともと関西では吉本と松竹は“共演NG”という不文律があったという。
それを破ったのも彼ら2人の関係だった。
真偽は不明だが、さんまがパーソナリティを務めるラジオ番組に鶴瓶が出演する際、「笑福亭鶴瓶」だと問題になってしまうから、本名の「駿河学」名義で出演したという話もある。
鶴瓶とさんまとの関係をさらに親密にさせたのは新幹線の中だった。まだ2人とも20代の頃だ。
鶴瓶は名古屋に、さんまは東京に仕事へ向かう際、よく新幹線が一緒になり、到着まで仕事からくだらない話まで語り合っていた。それに飽きるとゲームをし始めるのだ。そのひとつが「借り物競走」だった。相手の嫌がりそうな指令を書いた紙をバラバラにしてお互いがそれを引き、指令に従って新幹線の客の持ち物をどちらが早く借りてこれるか競うというものだ。
「負けたほうは罰ゲームや」
鶴瓶は不敵に笑う。罰ゲームを考えるのも楽しかった。ある日、極めつけの罰ゲームを鶴瓶は思いついた。
「横山やすしにイタズラ電話をかける」
前述のとおり、横山やすしといえば、「怖い」先輩。そんな先輩にイタズラ電話をかけるなどあり得ない話だ。しかも、両者とも声色に特徴のある2人。電話口で誰か分かってしまう危険性が高かった。まさに究極の罰ゲームだった。
そんなとき負けるのは決まって鶴瓶だった。
罰ゲーム執行のときになって、さすがに鶴瓶は躊躇した。
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