年の瀬も迫る12月頭、私はひどく気が重かった。あるテレビ番組に思いがけず出演することになったからだ。
NHK・Eテレ「ニッポンジレンマ」の元日スペシャル。若手の論客が集い、今年の国際問題、政治、経済、文化を振り返る150分の討論番組だ。元日の夜に放送ということもあり、毎年Twitterのトレンド入りを果たす、注目度の高い番組である。
なぜ自分が? 「詩人」というふわふわした肩書きを持つ私は、討論番組に出るのも初めて。論客としてテレビに映る覚悟など持てない。収録日が近づくにつれ、不安と緊張、「こんな自分で大丈夫なのか」という焦りが押し寄せる。大げさではなく、死刑宣告されたような心地だった。
これからの「ニッポン」を語るときに、政治や社会問題にくわしい研究者はともかく、「詩人」は必要だろうか? 慣れないテレビ出演を前に、私は自分自身の役割を問われていた。
まるで別世界の心臓に悪い番組へ
「ニッポンのジレンマ」という番組自体は、以前から知っていた。2016年頭に放送された元日スペシャルも、私はたまたま実家のテレビで観ていた。
「お正月からご苦労さまだなー」。論客たちの丁々発止のやり取りを「この人の考え方好きだな」「言い方きつくない?」とソファでだらだら、自由気ままに鑑賞した。論客の意見が決裂する様を見て「心臓に悪い番組だな……」とも思った。テレビに顔を出してまで、社会に訴えたいことなど自分にはない。番組にかかわる人を「別世界の人たち」と捉えていた。
そもそも11月に入った時点で、私は少々燃え尽きていた。今年はエッセイ集と詩集、2冊の新刊を出し、「やり切った! 思い残すことはない!」と早くも一年を締めくくろうとしていたのだ。そんな中「ニッポンのジレンマ」元日スペシャルの出演依頼のメールが届き、血の気が引いた。あの心臓に悪い番組じゃないか。元日から晒し者になるなんて、なんの罰だろうか。