結婚相手の家に結婚の挨拶をしに行くときは、きちんとした格好で、菓子折りの一つでも持って伺い、きちんとした言葉づかいで終始コミュニケーションをするのが一般的に常識とされているし、結婚後も、相手の親には敬語を使うのが当然とされている。
私が彼の実家へ初めて行ったのは、プロポーズから3日目のことだった。付き合わないまま婚約したので、つまり付き合って3日目に「結婚します」という挨拶をしに行ったのだけど、その日から今に至るまで、私は一度も、彼の両親及び兄弟及び親戚の皆様に、敬語を使っていない。
たぶん彼の親族にとって、私の印象は「美咲だよ♡ エヘ」という感じの子だと思う。
嫁姑というのは、うまくいかないもの
プロポーズを受けた朝、彼が「結婚て、どうやってするんだろう」と言い、その場でお母さんに電話をし始めたことは以前書いた通りだが、「は? 結婚? 突然、何言ってんの?」と電話口でお母さんに怒られた彼は、「わかった、俺は今日あとで実家帰って、ちゃんと説明するし、今週末に相手の子も連れて行くから」というようなことを言って電話を切った。それを横で聞いていた私は「そうか、今週末に、彼の親族と初対面か」と思い、そこから「どの作戦で行くべきだろう……」という思案が始まった。
嫁姑というのは、うまくいかないものだ、と思っている。姑にとって嫁とは「なんでコイツなんだよ」となってしまうものであり、嫁にとって姑とは「コイツ早く死ねばいいのに」と感じてしまうものなのだと。それに関しては、誰が悪いとか、相性がどうというより、月と太陽が一緒に出ないのと同じくらいに、そういう風にできているものであって、ただただ、そういうものなのだと、どんなに嫁の出来が良くても納得などしてもらえなくて、どんなに姑が優しくてもいない方が風通しがいいに決まっている。
これはメンツの問題ではなく、ただただそういう関係値なのだと、考えて生きてきた。だから、もしいつか結婚することがあれば、結婚相手はなるべく孤児がいいと思っていたし、好きになった人のご両親が残念ながら揃っていたとして、気に入られようと努めるのは無駄な努力だからそこを頑張るのはやめよう、別に気に入られなくても気に病まないようにしよう、と決めていた。
その大前提は、ありつつも。
私がどうのこうの、というより、彼のことを想うと、なるべく彼の両親から、私は気に入られた方がいいし、仲良くなった方が嬉しいのだろう、と思った。
なので私は、好かれるように作戦を立ててみることにした。
常識を大事にしたところで、好きになってはもらえない
相手の両親に敬語を使う、というのは常識だ。だけど、うまくいかない嫁姑というのが世間の定番だ。定番の人たちは、常識的な立ち振る舞いをしている。
それはつまり、常識通りにやってしまうと、嫁姑は上手くいかない、ということだ。常識を大切にしたところで、少なくとも、好きにはなってもらえないということだ。
それでは困る。普通の嫁姑になってしまったら、それは「早くコイツ死ねよ」の始まりであり、私もできればそんなことは思わずに、彼の家族と付き合いたい。だから、どうにかして好かれたいし、奇跡的に好きになりたい。
嫁と姑が仲良くなれるなんて、すごく非常識なことで特例なのだから、常識に則った一般的な行動の先にそんな非常事態はありつけるわけがない。
そんなふうに考え、あれこれと作戦を練っていたら、彼の実家へ挨拶に行く前夜、彼から電話がきて、「美咲ちゃん、明日、ちゃんと敬語を使ってね」とお願いされた(私は電話が苦手なので普段は極力避けているけれど、そうも言っていられないほど、この日の彼は「話したいことあるからちゃんと電話出てよね」と鬼気迫った様子だった)。さすが婚約者、何かを勘づいてたようだ。
しかし、作戦を決行するにあたり「敬語を使わない」というのはどうしても譲れないところだったので、私は断固として、そのお願いを断った。
「敬語は使わない。これは私のこだわりなの。敬語を使ったら、仲良くなれないで終わるよ。当たり障りのない、一緒にいて居心地の悪い、気を使うから早く帰って欲しいだけの、帰ったら途端に陰口を言うような仲にしかなれないよ。だって世間一般の嫁姑ってそういう感じじゃん。あの人たち、みんな、敬語ちゃんと使ってて、そうなってるもん」
「言葉づかいなんかで美咲ちゃんを判断されたくない」
彼は反論してきた。
「美咲ちゃんの言わんとしてることは解るけど……でも、俺は、言葉づかいなんかで美咲ちゃんを判断されたくないんだよ。言葉づかいなんかで、悪い印象を持たれてしまうのは、もったいないよ。美咲ちゃん良い子なのに、そこを誤解されるの、俺イヤなんだけど」
「大丈夫。私がこれまで26年間、いろんな人の実家を巡って、その度にその家の家族に馴染んできたやり方があるから。敬語は使わないけど、敬意は徹底的に払うから、失礼には当たらないから大丈夫だよ。もしこれで私に悪い印象を持つとしたら、その人の頭と性格がだいぶ悪いから、むしろ私がキライ。そんな馬鹿と仲良くなるのは、さすがに無理だ。
本当の敬意を、まともな人は、ちゃんと見抜けるし感じとれるし、話してる内容にちゃんと敬意があれば『です』『ます』を付けなくても絶対に反感を買わないから大丈夫。私は嫌われたくないんじゃなくて、大好きになって欲しいし、なりたいの。そうする以外に、嫁姑問題を突破する方法なんて、ないから。嫁姑は、お互いを嫌うのが定番なんだから。敬語使ったら定番になるよ。定番でいいの?」
「……うーん……」
一か八か、敬語は使わないプランで行く、というのは、決めていた。そこには勝算があった。今までいろんな人の家に住み着いてきて、その家族に私は必ず好かれていた。
とはいえ、今回は結婚相手の家族で「嫁になる子」という目で見られるので、少しというかだいぶ設定が違う。そこがどう作用してくるのかが、読みきれないところではあるけれど、大きくくくると、他人は他人だ。よその家庭はよその家庭。初めて会う大人、初めて会う若者だ。好きになる、という感情のパターンは、おおよそ同じなのではないか。わからないけれど。
でも、どちらにせよ、敬語を駆使した常識的な立ち振る舞いでは、好かれはしないことは確定しているのだから、一か八か、好きになってもらえる可能性が残っている方に賭けるしかない。だから私は、敬語を使わない。
ここで譲るわけにはいかない
彼は「……どうしても、敬語やだ?」と、すごく粘ってきた。そんなに頭の固い(悪い)ご両親なのだろうか……と、私としてもやや怯む気持ちがないでもなかったけれど、ここで譲ってしまうと、地獄の嫁姑生活の幕開けだから、ここはどうしても、君のために、私はプランを変えるわけにはいかない。君より私の方が、いくぶん、成功者の脳だから、ここは彼に合わせている場合ではない。ここには相当な名案をブチ込まないと、普通に考えるとうまく行くはずがない問題なのだから、常識という守りに入っている場合ではない。
「嫌だ。絶対。敬語も使わないし、挨拶もしない。そんなことをした瞬間に、建前星人という認識を持たれてしまうし、そもそも挨拶や敬語なんて、相手から非常識と思われないためだけの言葉の使い方で、保身でしょ。自分のことしか考えてない人のやり方だし、全然、相手のためを思ってない。仲良くなりたいなら、気を使う間柄になっちゃダメなんだよ。敬語を使うなんて、好かれる可能性を捨てにかかるようなものだもん」
人は自分に気を使ってくる相手には、自分も気を使ってしまう生き物だ、と思う。気を使うことは、気を使わせることだ。だから、実際は気を使っていたとしても、そんな様子はおくびにも出さないことが、相手をリラックスさせるためには必要で、気を使わせないために有効な本当の配慮だ。
この気遣い問題はすごく鏡になっている。気を張っている人といると気を張ってしまうし、気を許してくる人といると気を許してしまうのが人間だ。このことを私はありとあらゆる場面で確認してきた。
だから私が、私達は気を使う関係ですよね、という表明になる、きちんとした挨拶をして、気を使ってますよパフォーマンスである敬語を徹底した瞬間に、そこには気を許せない空気が漂い、気疲れしかしない関係になってしまうことが目に見える。
5分しかご対面ができないのであれば第一印象で全てが決まってしまうから話は別だけれど、1時間以上、話をできる尺があるのであれば、敬語以外での敬意の見せどころは、いくらでもある。だから大丈夫だよ、という勝算が、私の中にはあった。
私は彼の親から、好かれたい。そのためにはまず私が彼の親を好きになる必要があり、そのためには、彼の親というより「○○くん」「○○ちゃん」というくらい、その人たちをただの人として捉えて、相手の中にある人間味に出会う必要があり、そうしないとなかなか好きになることが難しい。お義父さん、お義母さん、って生き物として見ちゃうと、それぞれが持ってるパーソナルな可愛さを見つけられなくなってしまう。
この時点で、彼との電話は3時間にも及んでいたが、私は断固として譲らなかった。