ある夏の日。
野菜などの食材をネットで販売する企業、オイシックスのバイヤー小堀夏佳さん。彼女はその日、取引先と雑談していてこんな話を耳にしました。
「愛知県に、甘くて美味しい野菜をつくる農家がある」
さっそく電話してみました。電話に出たその農家の方は頑固そうな雰囲気で、開口いちばん三河弁で「来ても売らんら」。そして逆にこう聞いてきます。
「なんでおれのこと知ってるら」
「知り合いのバイヤーに聞いたんです」
「おまえの会社、ネットだろ。信用ならん。来るな」
それで引き下がっていたら、バイヤーの仕事は成り立ちません。押しかけるように面会の約束を取り付けると、自宅近所の喫茶店で会ってくれました。しかし口をついて出てくるのは、「いかにうちのキャベツが旨いか」というお話。これを延々と語り、そしてまた別の喫茶店に移動すると、今度はにんじんの話。結局、喫茶店を三軒もはしごしているうちに、とうとう夜になってしまって、
「もう夜になっちゃったんですけど……野菜売ってもらえますか?」
「売らん」
「畑も見ていないし……」
「売らん。帰れ」
結局、その年はその農家さんから野菜を仕入れることはできませんでした。しかし小堀さんはめげずに、翌年ふたたび電話します。
「あー、あのねえちゃん。でも、売らんら」
「なんとか会っていただけませんか」
「売らんら。それでも来るんなら来てもいい」
そしてまた喫茶店を二軒まわり、野菜の話をするくりかえし。
「畑ぐらい見て帰りたいです」
「ねえちゃんが見てもわからんら」
それでもなんとか、畑を見せてもらえました。
「うちの畑と向こうのキャベツ、どう違う?」
「えーっと……」
「向こうはグリーンだけど、うちは赤くなってるら」
化学肥料を極力つかわないと、アントシアニンという色素が生成されて、赤い色がついてしまうのです。しかし化学肥料をたくさんつかえばキャベツにはえぐみが出てしまう。味を重視するのなら、赤くなっていても旨いほうが当然良い。その方はそういう考えでキャベツをつくっていました。
「次は大根の畑行くら」
「他の畑と音が違うだろう?」
そのときは風がビュービューと吹いていたので、うるさくて音の違いなんてわからないと正直、小堀さんは思いました。農家さんはこう説明してくれます。
「向こうはサヨサヨしてるが、うちは金属音がするら?」
そこの大根は、たんぽぽのような葉のギザギザ同士がぶつかって金属音を立てるというのです。「ミネラルと窒素とリン酸カリが入ると、こうなるのら」と説明します。話を聞きながら小堀さんは、
「この人はアーティストだ!」
と感じました。まるで芸術作品をつくるように、野菜をつくっている。すべての根本的な科学をわかったうえで、芸術作品をつくっているのだと。
そして農家さんは、最後に言いました。
「おたくでやるのなら、うちの野菜のセットだけら。ほかの農家の野菜が入ると空気が変わってしまう」
「ありがとうございます!」と飛び上がるように喜んだ小堀さんでした。そして「どういうセットですか?」と聞いてみると、
「セロリひとたば、にんじん1キロ、大根2本、キャベツ2個。これを170セット出す」
すごい量です。こんなにたくさんの野菜が入ったセットがほんとうに売れるんだろうか。とるものもとりあえず東京のオイシックス本社に戻り、野菜セットのことをみんなに説明すると、
「ふざけるな! 1品から買えるのがオイシックスなのに、セットだなんて」
と怒られました。それまでの食材の宅配と異なり、ネット企業のオイシックスは
「入会金なし、1品からでも注文できます」ということを売りにしていたからです。
「そういう前にちょっと待って」
小堀さんは、サンプルとしていただいてきたにんじんをバッグからとりだします。スライスしてみんなに試食させると、
と全員が驚愕しました。いままでのにんじんの味の常識を完全にひっくりかえす旨さだったんですね。「フルーツになりたかった野菜たち」「柿のように甘いにんじん」「梨のような大根」。そういう感覚だったのです。
そして野菜セットは、販売開始しました。一セットが4,000円とかなり強気な値付けです。しかしスタートしてみると、お客さんたちから高い評価がたくさんつき、あっという間に完売。以降、オイシックスの定番人気商品になったのです。
お客さんから届いたメッセージに、小堀さんは涙が出るほど感動しました。
「小堀さんの五感で感じた野菜を、第六感で買いました」
感動する野菜——。
日本では戦後、肉と乳製品が中心の欧米型食事に移行し、野菜の消費量が年々減っていっているということが指摘されてきました。またスーパーの総菜やコンビニの弁当などが普及して、そもそも生鮮食材を買う人が減っているということも言われてきたのです。
もちろん一部にはオーガニックと呼ばれる無農薬有機野菜もありましたが、値段が高く、販売店も少なく、一部の意識の高い人だけに消費されるものと考えられてきたのです。
しかし、その空気がここ最近、劇的に変わりつつある。
オイシックス社長の高島宏平さんは、東日本大震災が大きな変化をもたらしたと語っています。
「震災で一気に変わったという実感があります。震災では福島原発事故への不安がまずあり、その不安をどうとりのぞいて安心安全な食材をご提供できるかという放射性物質対策が中心の時期は、2年ぐらいつづきました。それがいったん収まったあとに、文化が一気に広がってきた。それまでのオーガニックが好きで料理のスキルが高い人たちだけでなく、そうじゃない人たちも『もっとちゃんとした食を』と求め、自分もそうなりたいという思いでサイトに来ていただくようになったのです」
これは大きな日本の生活文化の変化ととらえるべきなのでしょう。オイシックスではお客さんの9割を女性が占め、30〜40歳代が中心。半数ははたらいていて、同じく半数ぐらいがお子さんを持っている人たちです。このように子育てもして仕事もして、とても忙しい女性たちが、豪華な生活ではなく、地に足の着いた安全な暮らしを求めているということなのでしょう。
高島さんはこう続けます。
「震災に加え、リーマンショックという経済危機が、食べるということの意味を潜在的に見直すきっかけになったのではないかと思います。スーパーで買う食材は食べるための『部品』みたいなものだったけれど、部品じゃなくて、生きるためのものに変わったのじゃないでしょうか。そして足もとを見直そう、この生活が大切だよねという感覚になったのだと思います」
もしこのように多くの人の意識が変化しているのだとすれば、その流れはどこに向かおうとしているのでしょうか? そしてこれは食だけではなく生活全般にあてはまり、さらにはわたしたちの生きかたそのものを変えようとしているのではないでしょうか?
その「変化」を分析し、流れの先に何が見えようとしているのかを解き明かすのが、本書の目的です。
次回 気持ちいい暮らしに憧れるということ は12月20日(火)公開です。
写真提供:Oisix