何者か名乗りやすくするために「丸若屋」をつくった
——日本文化の魅力を再発見し、現代に合わせて再定義して発信してきた丸若さん。今、ご自身の肩書はなんだと思いますか?
それが、定まっていないんですよね。インタビューを受けるときも、肩書は載る媒体にお任せしてしまうので、記事ごとにバラバラ。昔からカオスなものが好きだったんで、そんな状況もいいかなと思ってるんですけどね。
——カオスが好き、とは。
整然としているものよりも、混沌としていてよくわからないものが好きなんです。
僕は大学で理系の専攻だったのですが、与えられた方程式で解を求めるのが性に合わなかった。だからそれぞれの問題に対して、一から公式を作っていました。子どもの頃から、1+1=2と言われると、「なんでだろう」と考えてしまうタイプ。みんなでやる鬼ごっこなども、決められたルールだとおもしろくなくて、独自にカスタマイズしたくなっちゃうんですよね。そうしているうちに鬼ごっこなのかよくわからない、謎の遊びに変わっていく。そういう感じで、今やっている仕事もよくわからないんですよ。
——わかりやすく説明するなら、日本文化のプロデューサー、なのでしょうか。
うーん……プロデュースしているときもありますが、ある意味、起業家といえば起業家でもある。自分の会社を立ち上げていますから。日々の仕事のなかでやっていることは、基本的には企画なんですよ。企てる、画策する。その企てるジャンルとして、日本の文化・伝統を中心として活動しているわけです。でも、「プランナー」としてしまうと、またニュアンスが違うんですよね。
だから、「丸若屋」をつくったんです。「丸若屋 代表」と名乗れば、僕は丸若裕俊だから丸若屋ね、とわかってもらえるし、代表といったら何かしら中枢の仕事をしているんだろうな、となります(笑)。
——なるほど(笑)。しかも「丸若屋」には、和風の響きもありますよね。その丸若屋で、丸若さんは何をしているのでしょうか。
古くから続いてきた日本文化の価値を再定義・再構築して、世の中に発信するという仕事をしています。例えば、伝統工芸の職人さんと新しいプロダクトをつくる。企業と作り手をつなぐ。それらのプロダクトを販売する場所をつくる。今取り組んでいるプロジェクトの一つが、古伊万里をベースにした磁器シリーズ。佐賀県にある伊万里港を望む高台にある窯元で焼いています。
この器をデザインした猿山修さんは、古美術のプロでもあるんです。器の歴史を知っているので、単に視覚的にイケてるかどうかではデザインしていない。だから、形は16世紀の李氏朝鮮時代の器の要素を含んでいて、縁の立ち上がりなどはその時代の様式を反映しています。
——洗練されていて、現代的な印象を受けますね。
400年間受け継がれてきた古物がすごい理由の一つは、手に渡った人がみんなそれを「壊しちゃいけない」と思って、丁寧に扱ってきたという事実。それって、普遍的に良いものである、ということなんです。だから、現代に生きる僕らが見ても、古くさく感じることはないんだと思います。
これを手に持っていると、なんだか落ち着くんです。料理もおいしく見えるし、道具として成立している。そこが大事だと思っています。