サブカルチャーに救われていた、青春時代
——水野さんは、いつ頃からクリエイティブ領域の弁護士を目指そうと思われたんですか?
僕はもともと、弁護士志望だったわけではありません。新しい表現や価値観、アイデアに出会うことが好きで、そういうモノやコトを創っている広い意味でのクリエイターに出会いたいという気持ちがあります。だからクリエイティブなことに関わって生きていきたい、という気持ちはありましたけどね。
——そうした作品に興味を持ったのは?
映画や音楽にハマりだしたのは、中学3年くらいからです。男子校の部活でサッカーをやりながら、同時にウォン・カーウァイ、ジム・ジャームッシュ、レオス・カラックスなど、ミニシアター系の映画を好んで観ていました。いわゆる「サブカル野郎」だったわけですが(笑)、当時はそういう作品の裏に感じる空虚感や虚無感に、他で得がたい安心感のようなものを感じていたんです。宮台真司さんが言った「終わりなき日常を生きる」という感覚といいますか。当時はそういう作品にふれると、自分が言葉にできない感覚が表現されているような気がして、少しホッとしたんです。音楽でも映画でも本でも、止まったら死ぬ、というくらいさまざまなカルチャーを夢中で吸収していましたね。
法学部に入ったのは、たまたまでした。いろんな学部を受験した中で、受かったのが法学部だったんです。つぶしがききそう、というくらいの気持ちで入りました。英語の試験が難しい学部だったんですけど、英語の試験に当時よく聴いていたR.E.M.のマイケル・スタイプのインタビューが出たんです。そういう意味でもカルチャーに救われています(笑)。
——大学入学時点では、弁護士になる気はなかった、と。
そうです。学部生の頃はプロデューサーや編集者のような、クリエイターをサポートしてカルチャーを盛り上げていく職業につきたいと思ってたんです。そんななか、サイバースペースにおける法規制のあり方を考察した、ローレンス・レッシグの『CODE——インターネットの合法・違法・プライバシー』という本を読みました。そこで、インターネットとクリエイティブと法律の交差する場所が、これからおもしろくなるんじゃないかとピンときて。たまたま法学部にいたし、法の面から文化的な活動をする人をサポートする道もあるのではないか、と考え始めたんです。その際に弁護士という資格があると、できることが広がるんじゃないかと思い、司法試験を受けることにしました。
——『CODE』はどういうきっかけで読んだのですか? 授業で取り上げられていたとか?
それが、法律方面から知ったのではなかったんです。もともと、僕はビートニク(ビート・ジェネレーション)という、1955年から1964年にかけてアメリカの文学界でムーブメントを起こした作家たちの作品が好きで、よく読んでいました。今の事務所の名前「シティライツ法律事務所」も、ビート・カルチャー発祥の地と言われるサンフランシスコの老舗書店「City Lights Books」からとったんです。そのビートニクの中心的な作家が、ウィリアム・バロウズ。で、ウィリアム・バロウズ作品の翻訳を、よく山形浩生さんがやっていたんです。当時は、あのプロデューサーが手がけたアルバムはとりあえず聴くとか、好きなレーベルから出ているレコードを片っ端から買うなんてことをやっていたので、そういう感覚で本についても、作家だけでなく、訳者で横断して読むなんてことをしていたわけです。山形浩生さんとか、柴田元幸さんとか。
『CODE』についても、山形さんが新しく訳した本かぁ、というくらいの認識で、法律書とは知らずに手に取りました。当時、法学部でレッシグを読んでる人なんかいませんでした。だから、完全にカルチャーの系譜で出会った情報だったんです。今思えば、自分にとってはすごく納得感のある出会いのようにも思えます。
——そして、弁護士を目指そうと決めた。
はい。でも、司法試験に実際トライしてみたら、すごく大変で……つらくて、何度も諦めようと思いました。僕の場合、ロースクールができて司法試験の合格者が増えた時代だったことも幸運でした。
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