——ここまでのところ、アーティストとしてまだ世の中に出ていっていない。ご自身の作品を発表するようになったのは、いつ頃からですか?
IAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)を卒業したのが2004年で、その後あまり自分の作品が作れていませんでした。そこへ、2008年に、自分の顔を電気刺激で制御する作品をYouTubeに投稿して大ヒットしたんです。それからソロの作品を依頼されるようになりましたね。
作品をネットで共有できるって、当時はものすごく革命的なことだったんです。それまでは、作品を発表するには自分のサーバにアップするかDVDで配っていたんですが、YouTubeに映像を上げたら知らない人が見てくれる時代になったんです。
——その動画は何がウケたんでしょう?
わからないんですよね、何がウケるかって。その頃、もっと面白い動画をアップしてるんですけど、そっちはバズらなかった(笑)。
今では、TwitterなどのSNSで流行るとみんなの目に留まりますが、当時はまだミクシィなどSNSがクローズドだった時代なので、爆発的にバズる仕組みがあまりなかったんです。
昔は、YouTubeのトップページでレコメンデーションしてくれるコーナーがあって、僕の作品を「世界おすすめ動画ナンバー1」に選んでくれたんです。そのおかげで、すぐ100万ビューに達しました。すると、CNNやディスカバリーチャンネル、MTVなど、いきなり海外のテレビに出ることになって。
——それで、海外からいろいろなオファーが来るようになったと。
そうですね。「アルス・エレクトロニカ」という芸術祭で、パフォーマンスをやってくれというオファーを受けました。これは、オーストリアのリンツにあるメディア・アートの権威とされる祭典で、そこで賞をとることが一つのステータスとされるんです。そのあたりから、海外のメディア・アーティストたちとつながるようになりましたね。2009年ぐらいからしばらくは、海外のアーティストと一緒に作品を作っていました。
——顔に電流を流すのもそうですが、実験のような作品が多いですよね。
そうなんですよ。作品を作っているというより、実験しているような感じで作っていたりします。YouTubeの動画も、「electric stimulus to face test」というタイトルをつけていて、要するに「顔に電気を流すテストをしています」と言っているだけです。
それをキュレーターの人が見て、アート作品として扱ってくれたらアート作品になるし、医学系の人からもオファーが来たりすれば、研究の動画として見られたりする。ブラジルでライブをやったときは、翌日の新聞の見出しに「ジャパニーズ・コメディアン」って書かれたこともあります(笑)。
——確かにジャンル分けするのが難しそうです。コメディだと思われちゃったんですね(笑)。
これはアート作品だからちゃんと作品として見てくれ、というようなことはあまり言いたくないんですよね。作品に社会的な主張や政治的なメッセージはないし、それをつけるつもりもない。そういうメッセージをつけたほうが評価されやすいのは知っているけれど、自分の好奇心や探究心を作品の中で重要なものにしたいんです。メディア・アートは、半分はアートで半分は研究みたいなところもあります。新しい技術を使って、人間がどう変わっていくかという実験を、作品を通じてやっているのに近いですね。