「あの、どうでしたか?」
「ん?……別にええんちゃう?」
「何かアドバイスをいただけたら……」
「ないない! 自分らの好きにやったらええよ」
「いや、そんなハズはないと思うんで……」
「ええって! 俺はもう部外者やから、な」
定期的に博多温泉劇場の楽屋を訪れるようになったパピーこと中川さんと僕との会話は、いつもこんな調子だった。
何を聞いても埒が明かない。
どれだけ話かけても、必死で食い下がっても、中川さんの返答は馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘で、いつしか僕は中川さんを持て余すようになっていた。
だからといって、無視をするわけにもいかない。
本人が言う通り、少し前に新喜劇を退団していた中川さんは、郷里の長崎で普通の仕事に就いていたから、もう芸人ではなかった。
しかしそれでも、僕が中川さんを素通りするのは道理に反しているのだ。
どうやっても避けられない。どう転んでも、僕は中川さんから逃げるわけにはいかなかった。
烏合の衆。
秋恵姉さんが美樹姉さん、大木こだま・ひびき師匠と共に大阪で立ち上げたコントユニット。
その台本を拝借した「浮気」コントの好評を受け、秋恵姉さんと僕たち福岡芸人は烏合の衆で披露された他のコントにも手を出すようになっていたのだが、実はこのユニットにはもうひとりの参加メンバーがいた。
吉本新喜劇の、中川一美。
そう、長崎から遊びに来たパピーこと中川さんは、僕たちが烏合の衆のコント台本でとっくに目にしていた「中川」さんその人だったのだ。
秋恵姉さんの仲介で福岡芸人ともすぐに打ち解けた中川さんは、姉さんの熱烈なラブコールに応えたのか、やがて劇場に泊まりがけで遊びに来るようになった。
芸人の先輩後輩ではない分、お互いに一線を引いていたが、逆にそれが良かったのだろう。
僕らは単純に目上の人として中川さんに接していたし、中川さんも年下の知り合いぐらいの感覚で僕らと酒を酌み交わしてくれたから、いつしか僕たち福岡芸人と中川さんの間には不思議な良好関係が築かれていた。
「ホンマにパピーは凄かったんやで」
「私、兄さんの芝居で何度も泣きましたよ」
「さんま兄さんとダウンタウンが取り合ったぐらいやからな」
「さすが史上最年少の副座長ですね」
部屋飲みの度に秋恵姉さんや美樹姉さん、浜根兄さんや文太兄さんから聞かされる、中川さんの華麗なるプロフィール。
役者としての素質、ツッコミの技術、誰からも愛されるニンの三拍子が全て揃っていて、こんな本格的な役者がいるんだという驚きで新喜劇入団を決めたのが内場勝則さんだとか、当時劇場から中継されていたコメディー番組のどちらに出るかで、さんま班とダウンタウン班の間で話し合いが持たれたとか、間寛平さんや博多淡海さんからの信頼が厚く、20代前半で超異例の副座長にスピード出世したとか、とにかく、みんなの口から出てくるエピソードの全てが輝かしい。
「昔のことは、もうええって!」
あまり過去を語りたがらない中川さんが皆の喧伝を止めても、この話題は尽きなかった。
僕たち福岡芸人が知らなかっただけで、それだけ中川一美という芸人さんは凄い芸人さんだったのだ。
本来なら、そんな話は僕の大好物である。もっと根ほり葉ほり聞きたかったし、その中に将来のヒントは絶対に隠されているのだから、聞かないなんて言う選択肢はあり得ない。
しかも本人に直接聞けるなんて、こんなチャンスは福岡吉本にいる限りそう何度も訪れないだろう。
しかし、僕は中川さんに踏み込めなかった。
中川さんの功績を聞けば聞くほど、僕は申し訳なさと恥ずかしさで胸がいっぱいになり、増大するいたたまれなさを押し殺すのに必死だったのだ。