アフロヘアーにオーバーオール。
それが笑福亭鶴瓶の若いころのイメージだった。
落語家に似つかわしくないアフロヘアーという髪型は、鶴瓶の反骨心のあらわれだった。
だが、それを切って短髪にしたのもまた、反骨心が原因だった。
現在はスケベそうな風貌をより強調するようなM字ハゲだが、実は後頭部には大きな円形脱毛症が見られる。これもまた彼の反骨心からできたものなのだ。
つまり笑福亭鶴瓶の髪型の変遷を追うことで、彼の反骨心がどこに向けられていたかがハッキリと分かる。
今回はデビュー当時からの鶴瓶の髪型をたどってみよう。
アフロヘアーの落語家
紋付き袴にきっちり整えた髪型。それが落語家の正装だ。
今だってそうなのだから、鶴瓶が落語界に入門した約40年前も言うまでもないだろう。
そこに大きなアフロヘアーで入ってきたのが鶴瓶だ。着物すら着ていない。それとは正反対のオーバーオールだ。
もちろん多くの先輩や、うるさがたの評論家たちから、陰に陽に訝しむ声が本人の耳にも届いていた。
だが、落語界から反発が来るのは当然織り込み済み。鶴瓶は意に返さずその姿を続けたのだ。
「これがオレの紋付きじゃ!」※1
そんな思いだった。
鶴瓶の師匠である笑福亭松鶴と並び「上方落語の四天王」と呼ばれた桂春団治は鶴瓶のその髪型を見て言った。
「金をやるから切ってくれ」
落語の権威を守るためというのもあっただろう。また、自分の弟子たちに示しがつかないというのもあったかもしれない。あるいは、不要な批判から鶴瓶を守るための親心もあったかもしれない。
しかし鶴瓶は金は受け取ったものの、そのアフロヘアーを変えることはなかった。
しばらく春団治と顔を合わせず、久しぶりに対面すると春団治は呆れた顔で言った。
「またその頭か」
「ちょっと伸びました」
そんな見え透いた鶴瓶の言い訳に春団治は真剣に怒るわけでもなく、「アホ」とまた切るように諭したが、その表情はどこか楽しげだった。※2
当然ながら、師匠の松鶴も「切れ」と言う。
本来、師匠の言うことは絶対だ。師匠の言うことはシロだろうがクロに変わる世界。しかも、松鶴は落語界でも屈指の厳しい師匠で知られていた。だが、鶴瓶は直感的にわかっていた。それが、絶対的な命令ではないことを。
実際、松鶴もそれ以上しつこく言わなかった。
きっと、松鶴は弟子の鶴瓶が、ただのファッションでアフロヘアーにしているわけではないということを理解していたのだ。
落語家のイメージを壊してやる
入門当時の大阪は吉本興業一色だった。
笑福亭仁鶴と桂三枝がラジオをきっかけに若者から絶大な支持を集め、やがて、間寛平や木村すすむが頭角を現してきていた。
一方、鶴瓶が所属する松竹芸能は、「ちょっと歳いってる人ばっかり」だったという。※3
古臭いイメージの松竹と、若い力が次々に登場する吉本。
特に、三枝や仁鶴が若々しいイメージで売っていた吉本と違い、松竹の落語家たちのイメージは古臭く堅苦しいものだった。
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