フォローするために生まれたわけじゃない
——兼松さんは、10年以上前からの知り合いです。出会った頃から常に、新しく、おもしろく、世の中にインパクトをもたらす活動をしているなあと、思っていました。いったいどうしたら、兼松さんのように働けるのかずっと不思議だったんです。
ありがとうございます。僕の働き方の原体験は、2003年頃、23歳のときに始めた「GAFFLING TOKYO」という個人ブログなんです。そのブログのおかげで僕は「発信する側」になることができました。あの頃は1日100人の読者が来てくれるだけでもう幸せで。
こうして個人がメディアになり、考えていることをたくさんの人に届けることができるようになったのは、不可逆的な変化だと思います。それより前は「スターみたいなすごいクリエイター」と「その他」がはっきり分かれていましたからね。ブログが登場してからは、たとえニッチでも他にはない価値を発信しつづけていれば、必ず誰かが発見してくれると信じられるようになった。そんな今では当たり前の肌感覚を、10年以上も前のブログ黎明期に体感できたのは大きかったですね。
——ブログの次はTwitterも始まりましたね。
僕が始めたのは2007年の夏でしたね。Twitterの重要な機能に「フォロー」がありますが、この「フォロー」という言葉に思い入れがあるんです。というのも1996年に創刊して、2006年に休刊した『relax』っていう雑誌が大好きだったんですが、そのサブタイトルが “wasn't born to follow!”で。後になって『イージー・ライダー』の挿入歌だと知ったんですが、「誰かをフォローするために生まれてきたんじゃない!」というメッセージはとても響いたし、「フォローされる側=発信する側になりたい!」って強く思った。だからTwitterのフォロワーが増えるたびに興奮していました(笑)。
——もともと文章を書いたり、発信したりするのは好きだったんですか? たしかウェブデザイナーをやっていたときに、自主的に社内メルマガを始めたとか。
そうそう。22歳のときにウェブ制作会社に就職したんですが、文学部出身でデザイン教育を受けたことがないのがコンプレックスだったので、自分の勉強のために「Design is Daily」というメルマガを始めたんです。世界中のおもしろいウェブサイトやウェブ業界のトレンドを毎日、解説付きで紹介するという内容で、半ば勝手に社内のデザイナーに送信していました。それが好評で、気がついたら他社のデザイナーにも転送されたり(笑)。
最終的には700人くらいの読者が購読してくれたんですが、そのうちのひとりからイベントへの登壇依頼をいただいたこともあります。まさか自分が人前で話すなんて思ってもいなかったので、びっくりしましたね。でも、初めてステージ側からオーディエンス側を見たときに、「自分はこっち側にいたい!」って思った。これも一つのターニングポイントでしたね。
「フリーランスの勉強家」という肩書
——それは何歳の時ですか?
24歳です。ブログと違ってステージでは目の前に人がいるので、話し手として価値を提供するには、自分を磨き続けないといけません。ときには参加者から想定外の質問が飛んでくることもありますが、それをきっかけに新しい考えが浮かんだり、漠然としていたことを言語化したりすることもできます。「これって大変だけどまたとない成長の機会だなあ」と感じました。
——どんなテーマで話すことが多かったですか?
20代のときに注目していたのが、NPOのような社会的活動にもっとデザインの力をいかしていく「ソーシャル・クリエイティブ」という考え方です。今でこそ魅力的なロゴやパンフレット、ウェブサイトが増えましたが、当時はNPO業界とクリエイティブ業界はとても離れていたんですよね。そこで僕自身NPOのウェブサイトをプロボノでつくったり、世界の有名なデザイナーが社会問題に関わっている事例を雑誌で紹介したりするうちに、いつのまにか「ソーシャル・クリエイティブ」といえば兼松くん、みたいなポジションになっていました。ソーシャルデザインのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」を2006年に立ち上げたのもその延長線上なんです。
——はじめに鉱脈を見つけた人ほど生き残るのかもしれませんね。
当たり前とされていることに違和感を持って、どんなことでもいいから一足早く行動を移す、その繰り返しですね。もちろん真価が問われるときがくるので、自分を磨き続けるためにも勉強の時間を大切にしています。
——いま兼松さんは、「勉強家」という肩書を名乗ってますよね。
はい。「フリーランスの勉強家です」と言うようにしてます。
——それ、どんな反応が返ってくるんですか?
「意味がわからない」って顔をされますね(笑)。「それって、性格の話ですよね」とか。
——ですよね(笑)。もう一回、「で、お仕事は?」と聞かれそう。
まあ、わかりやすくいうと、メインの仕事は京都精華大学人文学部の特任講師として、「ソーシャルデザイン」を学生に教えています。ただそれは週3日の契約なので、個人的にはフリーランスの勉強家の仕事のひとつという位置付けなんです。勉強家というのは僕の「あり方」を表現する肩書きであって、「何をするか」とはレイヤーが違うんですよね。
——勉強家と名乗り始めたのはどれくらい前からですか?
6年ほど前ですが、名刺に堂々と入れたのは今年に入ってからです。30歳になったとき「自分は何をしている時が一番楽しいのだろうか」と考えて、ハッと「勉強だ」と気付いて。何というか、これは一種の諦めでもありました。
——諦め、ですか。
僕は、ウェブデザイナーとしてキャリアをスタートして、これまでにクリエイティブディレクター、アートディレクターと、背伸びをするようにカタカナの肩書を名乗ってきました。取材をして原稿を書くこともあったので、デザインジャーナリスト、グリーンジャーナリストと言っていたこともあります。秋田生まれの田舎者だったので、そういう仕事に単純に憧れていたんですよね。
そうやってまず肩書きを名乗ってみて、それに見よう見まねで追いつく感じで20代を過ごしてきましたが、30代は「お前の代表作品はなんなんだ」とオリジナリティを問われるような気がして。そうすると、その道のプロとして実績を重ねてきた人にはどうにも叶わないし、「なんて自分は中途半端なんだろう」って自己嫌悪に陥ったんです。そうやってとことん悩んだ結果、「自分はアマチュアであることのプロなんだ」「勉強家なんだ」と思えたとき、ちょっと救われた気がしたんです。