できないからこそイノベーションが起きる
走り高跳びの跳躍スタイルは、背面跳びが一般的ですが、この背面跳びを世界ではじめて編み出した選手が、ディック・フォスベリーです。
彼は、1968年のメキシコオリンピックで、金メダルを獲得しています。彼の跳躍スタイルは、「走り高跳びの革命」とまで呼ばれました。実はフォスベリーは、跳躍に長けていたわけではありません。むしろ跳躍力は人並みでした。でも、人並みだったからこそ、新しいスタイルにたどり着いたと考えることができます。
彼は、はさみ跳びの練習の最中に、お尻がバーにあたらないように体を後ろへ傾けるようにしました。その結果、腰の高さが上がって、背中をバーに向けて跳ぶという着想を得たのです。
フォスベリーは、当時の主流だった跳び方を捨てて、まったく違う角度から限界を突破しました。
もし彼が、ベリーロールというお腹をバーに向けて回転する跳び方や、はさみ跳びで成績が残せる選手だったとしたら、自分のやり方を捨てることができずに、背面跳びの誕生も、オリンピックでの優勝もなかったでしょう。彼の成功は、王道や主流といわれたやり方を手放したことにあると思います。
できないときは寄り道をせよ
同じように、イギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズも、手放すことによって、世紀の難問を解き明かしました。彼は、「フェルマーの最終定理」を証明してみせた人物です。