人との関わり方もスケベそのもの
笑福亭鶴瓶はスケベである。
垂れ下がった目、常に上った口角、その見た目もスケベそのものだが、「人」に対する態度もまたスケベそのものである。
たとえば『ミッドナイト東海』というラジオ番組をご存じだろうか。
いや、知らなくても当然である。『ミッドナイト東海』とは今から50年近く前の1968年に始まった名古屋のローカルラジオ番組である。
鶴瓶は、デビューして間もない1975年、この番組のパーソナリティに抜擢される。3時間しゃべりっぱなしの生放送だった。鶴瓶は番組が終了するまでの9年間、パーソナリティを務めた。即ち、彼のフリートークの原型ができた番組である。
その番組で鶴瓶は中高生の兄貴分的な存在だった。そんなリスナーの中で「一番のファン」だったのが当時13歳の少女だ。
鶴瓶が最初に書いたサインは、彼女に書いたものだった。
それだけなら、ごく普通のファンとタレントの関係だ。だが、鶴瓶が特異なのはそのあとだ。
なんと、今でも、その最初のファンと交流を続けているというのだ。もう40年近くにもなる。その人付き合いの良さは「スケベ」としか言いようがない。
もちろん、いわゆる男女のスケベではないだろう。当時13歳の少女は50代の淑女だ。
性的な興味で、縁が続くはずはない。
自称・日本で一番サインをしている男
鶴瓶は基本的にサインを断らない。
「言うとくけど、俺、日本で一番サインしてるよ。二千円札より俺の方が多いわ(笑)」※1
と鶴瓶はうそぶく。
映画などで長期間同じ場所に滞在すると、最後には1世帯につき2~3枚以上のサインを書くことも少なくないという。
一度、変わった名前の人にサインを書いた。普通の名字の前に『コ』という一文字がつくのだ。
漢字を聞き返すと「故」だという。
「一家にひとつ、誰々さん、誰々さんで、死んだ人にまでサインを書いたんですよ」※2
もう家族みんなにサインをもらったのであろう。既に亡くなった故人へのサインまで頼まれたのだ。映画撮影期間、ロケ地周辺の文房具屋から色紙が消えたという。
求められたら拒まない。サインには積極的に応じ、声をかけられれば家にも上がり、トイレはおろか風呂まで借りることさえある。
映画『ディア・ドクター』の撮影時には、こうした鶴瓶の態度によって、「市がひとつになった」とロケ先の市長が評した ※3 ほどだ。
芸能人としてのオーラがどこまでなくせるか
鶴瓶がサインを断らないのはある原体験からだろう。
彼は小学6年生の頃、友人たちに嘘をついた。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。