相手に何かを伝えるためには、本当に伝えたいと思うしかない
週刊誌のスキャンダルに、テレビの謝罪会見、選挙報道、バラエティでの独白……。ここのところ感情がダダ漏れしている「エモいシーン」を最近メディアで良く見ませんか。
ネットの書き込みやツイッターでの炎上などでは、いい大人の「激しい感情」が炸裂しているのをよく見かけます。
今回は、モノゴトの本質は、実は“感情”(エモーション)だ、というお話です。
そしてそれは情報革命がもたらす最後にして、最大の価値観の変化だと僕は思っているのです。
作り手の想いはテレビ電波に乗る
テレビ番組を20年以上作っていて、僕がはっきりと確信しているのは、テレビの電波というのは、僕ら作り手の想いがバレる、ということです。
例えば、僕らテレビマンは自分が関わっていない他局のバラエティ番組を見ているとき、「あれ? この雰囲気ちょっと違和感を感じるな?」ってことがあります。
「スタッフと出演者がうまくいっていないのか?」
「プロデューサーとディレクターの間で、うまくいっていないんじゃないか?」
「打ち切りが決まったんじゃないか?」
もちろんプロがつくったものですから、上辺はちゃんとしているんです。
でも、収録現場の雰囲気に出てくるのか、それこそ現場はそつなくこなしても、出演者のトークのカットの仕方や、ナレーションの言い廻しだとか、字幕スーパーの雰囲気とかなのか、自分でも掴みきれていないのですが、独特の違和感を感じることがあります。
もちろん、「この番組のスタッフ、いま調子いいんだろうな!」という波に乗っている感じも伝わるし、「出演者のことを好きなんだな」という想いも伝わってきます。
また、逆のこともあって、体裁や狙いはしっかりしているけど、何も伝わってこない時もあって、そういう時は「マーケティングだけをたよりに機械的に作っているよな」とか、「視聴率取るためだけに作っているな」ということが伝わってきてしまいます。
そしてそれは僕がプロの作り手だから、という側面もありますが、やっぱり視聴者にも確実に伝わって、その番組の人気に直結していくのです。
なんだかオカルトっぽく聞こえますか。確かに僕の戯言かもしれません。でも、それが20年間やっての正直な実感なんです。
この話を先日会食したFMラジオの社長に話してみたところ、「ラジオもそうなんだよ!」と身を乗り出して激しく同意して、こんな話をしてくださいました。
彼は、移動の車中で、自局のある番組を聞いていました。そうすると中身はいつもと変わらないのに、不思議とある違和感を感じたらしいのです。局に到着してその番組のプロデューサーに問い詰めたところ、そのプロデューサーは実は退社を考えていたそうです。
ラジオには視覚情報がありません。いわんやプロデューサーは裏方なので、その放送自体で、彼に直接関わることが聴こえることはありません。しかしその社長には、その番組の異変が伝わったのです。
人が作り出すモノゴトの本質は“感情”である
普段の僕たちの行動の裏側にある“感情”は、今急激に情報技術によって、拡張・開放されはじめています。