僕が中学2年だったときのある日、社会科の教科書が家でなくなった。
いつも机に教科書類を置いていたから、なくなるのはおかしい。でもどこを探してもない。ふと、となりの家の屋根を見やると、雨に打たれた社会の教科書がぽつりと乗っかっていた。シュールな光景だった。
姉が窓から投げ落としたのだった。
4年前、教員免許取得のために参加していた「介護等体験」の最中、僕はこの教科書事件のことを思い出していた。
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中学校の教員免許を取得するには、さまざまなハンディを抱える子どもが集まる特別支援学校で2日間、そして特別養護老人ホームなどの社会福祉施設で5日間の「介護等体験」をしなければならない。
当時、高校で教えるつもりでも中学の免許を同時に取得することが一般的だったから、2012年6月、30歳をすぎていた僕は大学生とともにこの「体験」に参加した。
正直に言えば、最初は「こんなのやる意味ない」と思っていた。この制度は、いくらかの責任がともなう「実習」ではなくて、あくまで現場をのぞき見する「体験」にすぎない。ごく短期間のぞき見したところで、何が得られるのか?
でも、たった7日だったけど、この「体験」を得て、小さくない何かが僕の中ではじけた。今ではそう思っている。今回は、特別支援学校での2日間をふりかえってみたい。
あまりに軽率だった自分の行動
その2日間、僕は知的にハンディのある高校生と彼らを指導する先生をじっと見つめていた。
僕はサラリーマン上がりで30すぎの「体験者」だったから、先生もホンネを吐露しやすいようだった。「やめたくなるとき? そりゃしょっちゅう。子どもにむかっとするときだってあるよ。人間だもん。でもさ、やっぱり嫌いにゃなれないんだよ。人間だもん(笑)」。40代男性教諭の笑顔は、重たくも力があった。
体育の授業前は、どうしても着替えの補助が必要になる子もいる。便で下着を汚してしまったときも、しばしば教師の手が必要となる。
想像だにしていなかった、大人の男性と大人一歩手前の男子生徒による“協働”更衣。「ふつう」とされる高校には絶対ない光景を前に、自らの想像力のとぼしさを呪った。
休み時間。教室移動が遅れていた生徒数名を送りとどけてほしいと先生から頼まれた。おやすい御用と思ったのが甘かった。生徒一人ひとり、足どりが一定ではない。あっちへふらふら、こっちへも。
僕はチャイムに遅れちゃいけないと思い、「早く行こう」とせかした。そして、さりげなく「ほら」と言って、一人の女子生徒に手をさし出した。その子は足を引きずるようにしていたし、小学生高学年とも思えるくらいに顔立ちが幼かった。
その子は、「いやっ!」と言って僕がさし出した手を払いのけた。僕はちょっと驚いたと同時に、「しまった…!」と思った。
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