僕が高校2年のとき、夏休みをまる1ヶ月使って、東京〜東北間をマウンテンバイクで往復したクラスメートがいた。「ずっとサドルにケツを付けっぱなしだから、サルみたく真っ赤になって痛かった!」 2学期初めの彼は、すがすがしい笑顔でそう言った。
一人で旅をするってのは何とも心細いし、気のおけない仲間と和気あいあい行くのでは味わえない、大いなる不安と冒険心が入りまじる。それを16、7歳で経験するのって、単純に、貴重だと思う。
旅をしてほしいな、旅を。
今日は、ある生徒に、そんな「一人旅」をすすめてみたお話。
世界史の授業で問いかけたこと
去年の6月、高校2年の世界史の授業で、中世ヨーロッパの手工業者のくらしを教えた。ちょうど1学期後半の授業だった。
靴でもパンでも、かばんでも。各都市では業種ごとに、手工業者が組合(ツンフト)をつくって、市政を牛耳る商人たちと闘争をくり広げる……。そう、「ツンフト闘争」。この妙に心地いい言葉のひびき、なつかしいとお思いの方もいるのでは(いないかな)?
むしろ学んで楽しいのは、手工業者の世界のきびしい身分制のほうかもしれない。そこでは、親方を絶対的なトップに、親方候補生たる職人、そして下っぱの徒弟がつづく。
授業では職人にスポットをあてた。「なんで、職人は英語でjourneymanって言うんだと思う?」
その昔、職人は放浪の旅人だった。都市から都市、国から国をまたいで、師事する親方をかえて修行するのが常。親方の指導はきびしい。だって親方としては、将来の商売がたきを育てているようなものだし。
それでも、「これだけのものを造られちゃ仕方ねぇ、こいつの実力は認めざるをえない」っていうくらいの作品を仕上げた職人は、晴れて親方になれる。
授業ではこうした話をして、僕自身の初・一人旅の思い出をつづけた。最初にあげた、マウンテンバイクの強者(つわもの)とは正反対の、地味でビターな思い出。
失敗談に食いつく生徒たち
僕の最初の一人旅も高2のときだった。当時ボストンに住んでいた親類を訪問する旅。飛行機に乗るのは初めてだったし、着くまでに乗り換えもあった。英語はそこそこ勉強した程度で、超不安だった。
親も海外旅行経験なしだったから、出征する兵士を見送るような不安感を、家の玄関口でただよわせた。しかも、貴重品携帯用の腹巻きまでつけられた。今じゃ恥ずかしくて絶対しないけど、当時の僕は「海外ってそれくらいの装備が必要なのか!」と思ってた。所持金は分けて、およそ500ドルを腹巻きに、300ドルを靴下にしのばせた。
緊張感は極度。離陸してしばらくすると、片耳がキ——ンと痛くなり聞こえなくなった。そして眼をゴシゴシやったらコンタクトがずれ、目の裏側に回ってしまい外に落ちてこない。踏んだり蹴ったり! それでも、「はじめてのおつかい」さながらに、気をふるい立たせた。頼れる人は他にいなかったから。ボストンに着いて親類の顔を見つけたときは、ホッとしてさすがに泣けてきた。
こうしたてんまつを語ると、生徒は目を輝かせる。どうやら人は、成功談より失敗談や後悔談のほうに食いつくらしい。自分もそろそろ一人旅かな?と頭にちらついた子もいただろうか。
でも、ちらついたところで、高校生にかぎらず、多くの人は実行しない。そりゃそうだ、怖いもの。面倒くさいもの。経済的にめぐまれた生徒は、親御さんの計画する旅行に慣れきってもいる。
とある男子生徒との個人面談
そうだ、こいつにこの話、してみるか。そう思ったのは、そんな世界史の授業をした当時、担任を持っていた高1クラスの男子生徒と個人面談をしてるときだった。
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