華麗さとあやうさと
中邑真輔が新日本プロレスを退団する前にどうしても尋ねておきたいことがあった。それは日本に残る後輩や同僚の選手たちのことである。「選手に関しては何の心配もしていないです。僕がいなくなって少しは寂しがってほしい気持ちもありますけれど、僕がいなくなったことをチャンスと捉えてくれてもいいし、その穴を埋めるぜと思ってくれてもいいし」と仲間たちには全幅の信頼を置いているようだったが、それでも何か私が言いたげなのに気づいたのか、中邑は笑いながらこう言った。
「大丈夫です、三田さんが心配している人については今度『東スポ』に載りますから。それを見て下さい」
そして数日後の『東京スポーツ』に、頸椎ヘルニアで長期欠場中のある選手が、渡米直前の中邑の元を訪れたという記事が掲載された。その選手こそが、飯伏幸太である。中邑と飯伏はプロレスラーとして育った環境は全く違えど、お互いを特別な存在として認識していた。2度にわたり当人同士にもファンの心にも深く刻まれる激闘を繰り広げた2人だが、互いに感じる親近感を中邑は「僕には年上の女のきょうだいしかいないんですけれど、男の兄弟がいたら兄弟げんかに近いのかな」と語り、飯伏は「プロレスをやる前に、プロレスをどう見てきたかっていうのが中邑さんと自分は似てるんじゃないか」と表現していたのである。
DDTプロレスリングというインディペンデントの団体でデビューし、その身体ひとつでプロレス界を駆け上がり、業界最大手の新日本プロレスとの「ダブル所属選手」という前例のない出世を遂げた飯伏幸太。メジャーとインディー、ジュニアヘビー級とヘビー級、リングと路上、さまざまなボーダーをその美しいフォームで飛び越えていく「ゴールデン☆スター」。彼のその華麗さと、背中合わせのあやうさは老若男女を惹きつける。
私自身、彼にこれまでどれほど驚かされたり喜ばされたり泣かされたりしてきただろう。どれほどこれまで彼の試合を見て感情が揺り動かされ、夢中で原稿を書き、飯伏幸太という文字をタイプしたかその数は知れない。
飯伏幸太に関する感情を表すにとてもいい言葉がある。かつて彼の所属するDDTプロレスリングを一緒に取材していた専門誌の女性記者の言葉だ。
「なんだか飯伏選手のことになると、みんなお母さんになっちゃうんですよね。私も三田さんもそうだし、団体の先輩もファンもみんな、お母さんみたいな気持ちで彼のことを心配したり応援したりしてるんだと思うんですよ」
ちゃんと試合に間に合うだろうか。怪我しないだろうか。寝られているだろうか。ご飯食べているだろうか。また人を困らせていないだろうか。巡業になじめているだろうか……。華麗なリング上と、マイペースすぎる日常。ファンに母親のように心配されながら愛される飯伏幸太とは、果たしてどんなふうに私たちの前に現れたのだろうか。