第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
哲人との対話がそう簡単に決着しないこと。それは青年にもわかっていた。とくに抽象的な議論に持ち込まれると、やはりこのソクラテスは歯ぎしりするほど手強い。しかし、青年にはたしかな勝算があった。一刻も早くこの書斎から抜け出し、議論を教室のなかへ持ち込むこと。俗世の現実を突きつけてやること。わたしは闇雲にアドラーを批判したいのではない。それがあまりに現実から乖離した空論だから、人々の生きる大地に引きずり下ろしてやりたいのだ。青年は椅子を引き、大きく息を吸い込んだ。
教室は民主主義国家である
青年 この世界に過去など存在しない。悲劇の安酒に酔ってはならない。われわれが語り合うべきは、ただ「これからどうするか」だけである。いいでしょう、その前提に立って進めることにしますよ。わたしに突きつけられた「これから」の課題といえば、学校でどのような教育を実践していくか、です。さっそく議論に入りますが、よろしいですね?
哲人 もちろん。
青年 いいでしょう。先ほどあなたは、具体的な第一歩として「尊敬からはじめよ」とおっしゃいましたね? そこで聞きたい。あなたは、学級に尊敬さえ持ち込めば、すべて解決するとお考えなのですか? つまり、生徒たちはなにも問題を起こさなくなると。
哲人 それだけでは駄目でしょう。問題は起こります。
青年 だとすれば、やはり𠮟りつけなければなりませんよね? なぜって彼らは悪事を働き、他の生徒に迷惑をかけているのですから。
哲人 いえ、𠮟ってはいけません。
青年 じゃあ、悪事を前にしながら放置しろと? それは泥棒を捕まえるな、泥棒を罰するな、と言っているのと同じことですよ? アドラーはそんな無法地帯を認めるのですか?
哲人 アドラーの主張は、法やルールを無視するものではありません。ただし、そこでのルールは民主的な手続きによってつくられたものでなければならない。これは社会全体にとって、そして学級の運営にとって、非常に大きなポイントになります。
青年 民主的な手続き?
哲人 ええ。あなたの学級を、ひとつの民主主義国家だと考えるのです。
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