■川上弘美とお茶大SF研
第一四〇回の直木賞の選評を読むべく〈オール讀物〉2009年3月号を購入したところ、「女子大生が作家になるまで」と題する、柴門ふみ、川上弘美、土屋賢二(お茶の水女子大学文教育学部人文科学科教授)の「お茶大同窓座談会」を発見。どれどれとページを開くと、のっけから、お茶大の漫研に手塚治虫が来たとき(1975年)の思い出からはじまり、漫研を創設した“Y田さん”(湯田伸子)の話を経て、柴門ふみが「Y田さんが描いた部員募集のポスターを見て電話したのが漫画家へのスタートだった」と語ったのを受け、今度は川上弘美(芥川賞選考委員)のSF研話がはじまる。以下、SFがらみの話を中心に抜粋。
川上 私もY田さんの「きたれ、SF研究会」というポスターでSF研に入ったんです。Y田さんは漫研とSF研の部長を兼ねていたから。(中略)でも、SF研には部員が私とY田さんしかいなかったので(笑)、私がいた生物科からあと三人入ってもらって、三人がまた人を集めて……。(中略)で、漫研の「ばるぼら」を刷っていたのと同じ印刷所で、私たちもSFの同人誌を出すようになったんです。
柴門 部室も漫研とSF研の共同でしたね。たしか曜日で分けて部室を交互に使っていたけど、たまに重なるときもあって。
川上 でも、あそこ、漫研の人はあまり使ってなかった記憶があります。いつもSF研が暗ーく集まって、「モスラ」や「ゴジラ」の話をしてた(笑)。(中略)
そのころは、あんまり恋愛方面には熱意がなかったんですねえ。オタクだから(笑)。ほかの大学のSF研の男子たちと合同合宿[大森注・関大連(関東大学SF研連絡会議)合宿のことか]をした時だって何をするかというと、一晩中、アニソン(アニメソング)をガーッと歌う。
柴門 えーっ、当時から?
川上 すごくいやでしょう? アニソンそのものだけじゃなくて、替え歌をつくって歌う(笑)。第一回目からコミケにも参加していたし。(中略)コスプレもした、主催者側から頼まれて。(中略)
柴門 結局、漫研とSF研が文学クラブみたいになってましたよね。漫研もずっと文学についてしゃべってたんですよ、マンガじゃなくて。
お茶大SF研は、川上弘美以外にも、松尾由美、伊東麻紀、阿部敏子、東茅子、野田令子など多数の人材を輩出したことでつとに有名。というか、昔は活字SF系のイベントにやってくる女性SFファンはごく少数で、そのうちの最大派閥がお茶大SF研だった。結果的に(?)SFファン男子(主に大学SF研出身者)とのカップル成立率も高く、私の知り合いだけでも五組を超えるファンダム結婚が誕生している。