僕が初めて海外旅行に行ったのは、20代前半だ。
海外デビューは遅めだったが、それ以来、多いときは月に数カ国のペースで海外へ行っている。出所からこの3年弱の間、30回以上、海外に行って、58都市を巡ってきた。
そうやってたくさんの国々を巡るなかで、世界が変わっていく様子を目の当たりにしてきた。特に、この20年ほどは、世界史のレベルで俯瞰しても、かつてないぐらい変化に富み、技術革新のスピードの速い20年だったと思う。
最大の変化は、グローバリズムの台頭だ。
その流れをリードしていたのはアメリカ・ ヨーロッパの欧米圏だった。しかし近年はアジアが驚くべき経済発展を遂げ、グローバリズムの中心になりつつある。
中国を筆頭にシンガポール、タイ、韓国、ベトナム、インドネシア……アジア各国に、とてつもないレベルの富豪が増えた。資本経済の中心は、欧米からアジアに移行しつつあると言える。
なかでもチャイナマネーのパワーは、ものすごい。北京オリンピック前後のバブル景気の爆発が、ずっと続いている。いまでもすごいのに、人口抑制政策が終わり、再び人口増加に転じると思われるので、将来的にどこまで経済成長を遂げていくのか想像がつかない。遠くない将来、恐ろしいほどのパワーを持つことになるだろう。
他のアジアの新興国も同様。外資の取り入れを積極的に進め、順調に発展中だ。アジア全体は今後いっそう伸びていくと、経済学者は口をそろえている。
そんななか、立ち止まっているというか、流れに置いていかれているのは日本だ。
日本はかつての力を失った。ジャパンマネーで世界を席巻したのは、ひと昔も前のことだ。
1980年代の後半は松下電器、ソニー、TOYOTAなど数多くの日本企業が、世界のトップブランドに成長した。その頃のハリウッド映画を見ると、アメリカ各地の風景は日本企業の広告・車・製品だらけ。『バック・ トゥ・ ザ・ フューチャーPART2』で主人公マーティが、ペコペコしている上司フジツさんは、日本企業の日本人社員だろう。
アジアでの経済的地位も高かった。GDPもGNPも、アジア内ではぶっちぎりの1位。総合力で周辺国に圧倒的な差をつけていた。
当時は後進だったタイやベトナムに、日本は多額の政府開発援助を送り続けた。欧米諸国に唯一、経済で対抗できるアジアのリーダーとして、周辺国から尊敬を集めていた。
それが現在、リーダーの面影は少し残る程度。
トップは中国に取られ、国際競争力では韓国・シンガポールなどに追い抜かれている。
東京など各地にアジア系の外国人観光客が激増した。わがもの顔で、外国人が高価な製品を“爆買い”している。
栄華を誇った日本企業も、欧米ではなくアジア資本による買収が、進みつつある。
一般市民を見ると、生活は全体的に苦しくなり、貧困層が増えてきた。日本は発展途上国に戻っている、とまでは言わないが、アジア地域の躍進から置いてけぼりをくらっているのはたしかだ。
経済力が徐々に失われているいま、日本全体を包むひとつの感情は、“寂しさ”だ。
劇作家の平田オリザ氏は、「三つの寂しさと向き合う」という論考を発表した。
私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の寂しさを、がっきと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。
一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
(中略)
私たちはこれから、「成熟」と呼べば聞こえはいいけれど、成長の止まった、長く緩やかな衰退の時間に耐えなければなりません。
(言論サイト『ポリタス』より)
なるほどと思った。グローバリズムが台頭するなか、日本人が向き合うべき問題が、ここに集約されている。
でも、実は、これは暗い話ではないと思う。僕はこの事態をまったく悲観していない。一度、思い込みを取り払って考えよう。
確かに経済の衰退は痛みを伴うことだろう。しかし、少子高齢化を迎えた国家が、経済力を失うのは、必然と言っていい。かつてヨーロッパは、日本より早く近代化し、その後、経済的に没落した。
まだなにかを諦めるほど、日本は貧しくない。過去に築いたインフラや文化資本の蓄積もある。日本の経済力は衰えても、世界規模で見ても珍しいほど好条件が揃っている。
下り坂には下り坂のいいところがある。円安は是か非か。外国人観光客が増えることは是か非か。外国企業に買収されることは是か非か。
衰退の“寂しさ”に流されず、冷静に状況を観察したらいいだけのことだ。しかも、日本は驀進する中国の隣にいて、チャイナマネーを呼び込める地の利がある。
世界はどう変わっているのか、君の属する世界はどこで、君の利益はなにで、日本の国益とはなにか。
では、若者が海外に出ないのはどうか。
僕は、当然だと思うし、困った事態だとは思わない。昔、多くの日本人が海外に出て行っていたのは、円高で安く遊べて、安く食べられて、安く学べたからだ。
今はネットインフラが発達して、海外の主要な情報はどこにいてもほぼ手に入る。
日本は閉じこもっているには十分快適だし、安全だし、食事だっておいしい。逆に、安全で基盤の整った日本に住んでいることを、ありがたく思っていいだろう。
僕自身は出かけるのが好きなので旅に出るけれど、外国のものを知りたい!というぐらいの動機だったら、別に日本にいても不自由はしない。
「若者よ外へ出ろ!」などと思わない。行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなくていいのだ。
この本では、日本にいようが、海外にいようが、やれることなんて、いくらでもあると伝えたい。まずはその一歩が、日本の現状を知ることだ。
第1章では、「日本がどのぐらい安くなってしまったのか」を検証している。安くなったということは、外国資本を取り入れやすいということだ。逆手に取ればいい。
第2章と第3章では、アジアの驚異的な経済発展の様子や、アメリカ、ヨーロッパ、そして南米などで起こっている経済やテクノロジーの変化をお伝えする。
第4章では、それでも東京という大都市が、世界最高レベルであることを伝えたい。安心安全で、インフラの発展した東京、そして、福岡や京都、沖縄などにもたくさんのビジネスチャンスが眠っている。
第5章では、海外を飛び回る中で気づいた最大の壁について説明する。僕がどうしてこんなふうにアクティヴに動くことができるのか、その理由がわかってもらえると思う。
最後に、本書の装画を描いてもらったイタリア在住の漫画家のヤマザキマリさんとの対談を収録した。題して、「ブラック労働で辛い日本人も、無職でお気楽なイタリア人も、みんなどこにでも行ける件」だ。
グローバル社会を生き抜くには、英語力やITスキルなど特別なアイテムがないと難しいというイメージを持たれているかもしれないが(もちろんあっても損はない)、本当に必要なのは、そういうツール的なものではない。
もっと思考の深い部分での理解だ。
人はみんな、「どこにでも行ける」という本質的な事実を理解すること。
シェアエコノミーの概念が急速に進んだことにより、国と国を区切る厳密な意味は、薄まってきた。いまいる場所から飛びだす障壁は、なくなりつつある。その現実を、僕はいまの若い世代に、皮膚感覚で知ってほしいと思う。
日本に居続けるのも、外に出るのも、“なんとなく不安”だという人は多い。
ここから語る僕の話が、そういう人たちのとらわれている幻想を解いて、本当に必要な情報を得ていける、思考のサポートになればと願っている。
激変する世界、激安になる日本。世界中を巡ってホリエモンが考えた仕事論、人生論、国家論。
はじめに 世界は変わる、日本も変わる、君はどうする
1章 日本はいまどれくらい「安く」なってしまったのか
2章 堀江貴文が気づいた世界地図の変化〈アジア 編〉
3章 堀江貴文が気づいた世界地図の変化〈欧米その他 編〉
4章 それでも東京は世界最高レベルの都市である
5章 国境は君の中にある
特別章 ヤマザキマリ×堀江貴文
[対談]ブラック労働で辛い日本人も、無職でお気楽なイタリア人も、みんなどこにでも行ける件
おわりに