「ありのままのその人」を認めよ
哲人 目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。そしてもし、誰かから「ありのままの自分」を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです。
青年 違う! そんなもの、わたしの知っている尊敬ではない。尊敬ってのはね、自分もそうありたいと請い願うような、あこがれにも似た感情のことを指すのですよ!
哲人 いいえ。それは尊敬ではなく、恐怖であり、従属であり、信仰です。相手のことをなにも見ておらず、権力や権威に怯え、虚像を崇めているだけの姿です。
尊敬(respect)の語源となるラテン語の「respicio」には、「見る」という意味があります。まずは、ありのままのその人を見るのです。あなたはまだ、なにも見ていないし、見ようとしていない。自分の価値観を押しつけようとせず、その人が「その人であること」に価値を置く。さらには、その成長や発展を援助する。それこそが尊敬というものです。他者を操作しようとする態度、矯正しようとする態度には、いっさいの尊敬がありません。
青年 ……ありのままを認めれば、あの問題児たちが変わりますか?
哲人 それはあなたにコントロールできることではありません。変わるのかもしれないし、変わらないのかもしれない。しかし、あなたの尊敬によって、生徒たち一人ひとりが「自分が自分であること」を受け入れ、自立に向けた勇気を取り戻すことになる。これは間違いないでしょう。取り戻した勇気を使うか使わないかは、生徒たち次第です。
青年 そこは「課題の分離」だと?
哲人 ええ。水辺まで連れていくことはできても、水を吞ませることはできません。あなたがどんなに優れた教育者であろうと、彼らが変化する保証はどこにもない。しかし、保証がないからこそ、無条件の尊敬なのです。まず「あなた」がはじめなければならない。いっさいの条件をつけることなく、どんな結果が待っていようとも、最初の一歩を踏み出すのは「あなた」です。
青年 しかし、それではなにも変わらない!
哲人 この世界には、いかなる権力者であろうと強要しえないものが、ふたつだけあります。