教育の鍵は「人間知」にかかっている
哲人 大切なところです。整理しながらお話ししましょう。まず、家庭や学校での教育は、なにを目標になされるものなのか。あなたのご意見はいかがですか?
青年 ……ひと言では語れませんよ。学問を通じて知識を修めること、社会性を身につけること、正義を重んじ、心身ともに健康な人間として成長していくこと……。
哲人 ええ。いずれも大切なことではありますが、もっと大きなところで考えましょう。教育をほどこすことによって、子どもたちにどうなってほしいのでしょうか?
青年 ……一人前の大人になってほしい、ですか?
哲人 そう。教育が目標とするところ、ひと言でいうとそれは「自立」です。
青年 自立……まあ、そうとも言えるでしょう。
哲人 アドラー心理学では、人はみな、無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求、つまり「優越性の追求」を抱えて生きる存在だと考えます。よちよち歩きの赤ちゃんが、二本足で立つようになり、言葉を覚え、周囲の人々と意思の疎通を図れるようになっていく。つまり、人はみな「自由」を求め、無力で不自由な状態からの「自立」を求めている。これは根源的な欲求です。
青年 その自立を促すのが、教育だと?
哲人 はい。そして身体的な成長のみならず、子どもたちが社会的に「自立」するにあたっては、さまざまなことを知っていかなければなりません。あなたの言う、社会性や正義、それから知識などもそうでしょう。無論、知らないことについては、それを知る他者が教えなければならない。周囲にいる人間が援助していかなければならない。教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」なのです。
青年 はっ、なんだか苦し紛れの言い換えに聞こえますがね!
哲人 たとえば、交通ルールを知らないまま、赤信号と青信号の意味を知らないまま、社会に放り出されたらどうなるか。あるいは自動車の運転技術を知らないまま、運転席に座らせることができるか。当然、そこには覚えるべきルールがあり、身につけるべき技術があるでしょう。これは命に関わる問題であり、しかも他者の命をも危険にさらすかもしれない問題です。逆に言うと、もしも地球上にひとりも他者がおらず、自分ひとりで生きているのだとすれば、知るべきことはなく、教育も必要ありません。そこに「知」はいらないのです。
青年 他者がいて、社会があるから、学ぶべき「知」があると?
哲人 そのとおりです。ここでの「知」とは、学問だけでなく、人間が人間として幸福に生きるための「知」も含みます。すなわち、共同体のなかでどのように生きるべきなのか。他者とどのように関わればいいのか。どうすればその共同体に自分の居場所を見出すことができるのか。「わたし」を知り、「あなた」を知ること。人間の本性を知り、人間としての在り方を理解すること。アドラーはこうした知のことを「人間知」と呼びました。