その日、リナが学校から帰ると、ママが家出していた。
ダイニングテーブルの上には「ママはしばらく実家に帰ります」と書かれた置き手紙が、1万円札とともに無造作に置かれている。
「はぁ……?」
リナは状況をすぐに飲み込めず、しばらく呆然とした。
そりゃあ確かに、最近のリナとママとの仲は最悪だった。学校で配られたプリントを出し忘れたり、ほんの少し拝借したママの美容クリームの蓋を閉め忘れたり。そんな些細なことで、ママは鬼の首を取ったように怒る。何もそこまで言わなくてもっていう本音がついリナの顔に出てしまうから、それを察したママは余計に怒る。関係ない妹のマイまで面白がって茶々をいれてきたりして、ママはもっと怒る。そんなわけで家の中は日常的に殺伐としていた。……いや、でも、だからって、家出までしなくても。
「ママ、何やってんの……」
いないと分かっていても、思わず声に出てしまう。
ほどなくして帰宅した妹のマイに、リナは早速事情を説明する。
「マイ、やばい。ママが家出した」
「はあ?」
リナが差し出したママの短い手紙を、マイは食い入るように見つめる。マイが取り乱しても、姉の自分がしっかりしよう。リナは密かに覚悟を決めて、マイの反応を伺う。……うつむいたマイは、次第に小刻みに肩を震わせる。泣いてる?! リナは一瞬ギョッとしたものの、すぐに呆れて言う。
「……マイ、あんた、なんで笑ってんの」
「あはは!だってウケるんだもん。ママが家出とか、めっちゃうける。笑っちゃう」
どうしても堪えきれないという様子で笑い続けるマイ。ママに怒られているときも、マイはいつもこんな風で、訳もなく吹き出しては火に油を注いでいる。さすが絶賛反抗期中のJC、女子中学生。肝が据わっているというか、怖いもの知らずというか。見透かしたような態度に、たまにリナでさえ小馬鹿にされているような気持ちになる。そういうときはさすがにちょっとしゃくだけど、それでも今日ばかりは、マイのこの調子に救われる。笑ってる場合か!と突っ込みつつ、リナもつられて笑う。……最早笑うしかない。
「……とりあえずお腹すいた」
リナがいうと、私も、とマイも同調する。時刻は午後7時をまわっていた。
「ご飯どうしよう」
「作るのとかめんどい。コンビニ行こ」
「じゃあマイ、着替えてくる」
心なしか楽しそうに自分の部屋へと消えていくマイ。そんな様子にほっとしながら、リナも自分の部屋に戻り、着替えを済ませる。フードのついたグレーのミニワンピースに、今年買ったばかりの薄手の黒のジャケット。たかだか近所のコンビニとは言え、誰に会うとも限らない。鏡の前で一旦軽く全身をチェックする。服はよし。化粧もまあこんなもん。……学校用のカラコンだと、やっぱり今ひとつ盛れてないな、付け替えるほどでもないけれど。
部屋を出ると、リナより早く支度を済ませたマイが、リナを待っていた。
「おっそい」
パーカーのポンポンを弄びながら、マイが口を尖らせる。
「ごめんごめん」
玄関でロングブーツに足を突っ込みながら、リナはふと考える。
ママがいない夜を過ごすのは初めてのことだ。……どうなっちゃうんだろう。不安だけど、ほんの少しワクワクする。
そんなわけで思いがけずこの日から、リナとマイ、2人だけの生活が始まったのだ。