「東大駒場寮」とカエル
どうも、お久しぶりです。私の若かった頃を書いた『赤坂のカエル』(2013年)、番外編として今回2年半ぶりに書きます。今回のテーマは「東大駒場寮」。松本博文氏の『東大駒場寮物語』(KADOKAWA)が発売されましたが、私も同書に少しだけ出ています。というのも、【第18回】「不法占拠」学生寮に住み着くに書いた「大学寮」というのが実際は東大駒場寮だったからです。住んでいたのは博報堂で働いていた1999年9月(26歳)から、2001年3月の退職を経て無職になってからの2001年9月(28歳)までです。
あの時に「駒場寮」という具体名を挙げなかったのは、さすがに東大の現役学生でもないのに住むというのは非常識過ぎるだろう、と考えたからです。しかも私は東大出身でもありません。実際のところ、駒場寮は裁判により存続ができないことになっていました。当時の寮委員会からすれば、「生活に苦しい東大生が学習する機会を奪うつもりか」ということも寮存続の正当性になる。そんな時に東大と一切の関係がない私がいたら、その運動の邪魔になると考え、当時私は他の寮生と一切の交流を絶ち、またライターになってからも公の場ではそのことを書かないようにしていました。書くにしても、赤坂のカエル第18回のように、ぼかして書いていたのです。
しかし、『東大駒場寮物語』の担当編集・K氏(東大出身)と知り合いになり、私が東大に一時期住んでいたことを伝えたら松本氏の取材を受けてください、と依頼を受けます。聞くと松本氏は私と同じ年に大学生になったとのことで、私が学生時代に出入りしていた時の寮委員長だったというではありませんか! しかも、私がニセ学生だったことを把握したうえで、駒場寮の最後の話を聞きたいと言ってくださったので、こちらも無駄にビビるのはやめ、酒飲みがてら、取材がてらお会いしたのでした。
そんな駒場寮については12月24日に下北沢のB&Bにて〈松本博文×中川淳一郎「本で書けない駒場寮のキワドい話」『東大駒場寮物語』刊行記念〉を行います。
会場ではバカ話と、駒場寮の強制執行の話をしたいと考えているのですが、ここではルームメイトのK君が出て行った後、一人暮らしになってからの話を書きます。前置きがたいへん長くなりましたが、ここから本編開始です。
ひとりぼっちの冬
すでに東大を中退済みだったK君は寮費支払の際、学生証の提示を求められ、中退してることがバレて追い出されることになってしまった。私は替え玉面接で入寮したため、名目上は東大生で通っており、居住は続けられた。K君は引っ越しまでは1ヶ月の猶予が与えられたが、K君は東大駒場寮物語【9】コマ猫と寮生に登場した猫・サブリナと一緒に住める部屋を探すのに手こずっているようだった。
なんとか3週間ほどで契約までこぎつけ、引っ越し当日はもう一人の友人を呼び、レンタカーでワンボックスのバンを借り、K君の荷物を積み込んだ。ところが一番大事なものを入れられない。サブリナである。普段は人懐っこく膝の上に乗っかってくる猫なのだが、檻を用意し、その中に入れようとしたら暴れまわり、そのまま警戒心を持たれてしまいまるで寄って来なくなってしまったのだ。結局その日はサブリナを連れて行くのは諦め、我々3人で方南町のK君の新居に荷物を運び入れた。サブリナは後日K君が捕まえに行ったがその時もなかなか檻に入ってくれず相当苦労したようだ。
さて、K君がいなくなり、私一人だけの部屋になった。K君の件でペナルティとして電気の供給が止められ、ロウソク生活に突入。冷蔵庫は止まったものの、2月の寒い時期だったため、ビールは十分冷たかったのが唯一の救いだった。また幸いなことにこの頃は仕事が忙しく、ほとんど部屋にいなかった。某外資系企業のコールセンターが札幌に開設される直前で、その準備のために深夜まで会社にいることが多く、また札幌出張も時々あった。だから駒場寮では基本的には寝るためにいるだけで、電気がない不自由さは感じていなかった。
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