2015/03/07
今日、はじめて、「妻と私の子どもの顔が半年後に見られるかもしれない」ということを聞かされた。
もちろん、妊娠が発覚したって話じゃない。DNAを元にしたシミュレーションの話だ。妻と私の唾液をそれぞれ取って、DNAデータを解析し、そこからふたりの赤ちゃんの顔をシミュレーションするらしい。
そんな話を聞いただけで、私は妊娠したみたいな気分になった。私は妻を愛しているし、妻のようなすばらしい人間のDNAを次世代に継ぎたいと思っている。
だから、妻と抱き合うたびに思ってきた。
「これで私のお腹に、妻と私の子どもが宿ったらどんなにいいだろう」って。
そんなことが起こりえないのは分かっているし、それでも妻と一緒に生きていこうというのは私自身の選択だ。だけれど、心の片隅で妻との子どもを望んでしまう気持ちを、そしていつか妻が死んで私だけこの世に取り残されることへの不安を、私は、拭い去りきれずにいた。
今回のことで妻と私は、実際に子どもを授かれるわけではない。だけれど子どもの顔が見られるかもしれないというだけで、私の心は明るくなった。両親に孫の顔を見せる、っていうことが、私にもできるのかもしれない。それは「孫の顔を見せる」っていう文字通りのことであって、それ以上でもそれ以下でもないのだけれど……それでも。
妻は今、日本に出張中だ。私は今、妻の実家にひとりで来ている。今回のプロジェクトのことは妻の両親にも、私の両親にも話してから進めた方がいいだろう。それぞれの両親に知らせる前に、まずは妻に話すことにした。……と、ここまで書いてまた、私は妊娠したみたいな気分になっている。さっきの一文の「プロジェクト」を「妊娠」に置き換えても、なんとなく文章の意味が通ってしまうではないか。
17年前、10歳の時、女の子に初恋をしたあの日のことを思い出している。
17年後、27歳になって、「愛する妻と自分の子どもが見られるかもしれない」なんて未来を生きているとは考えてもみなかったあの頃。
未来ってやつは、ほんとうに、くるのだ。