はじめに——狼の口の中へ
イタリア人は、試合や試験に挑む人へ、こう声をかけるのだそうだ。
In bocca al lupo!
狼の口の中へ、という意味である。
たとえば、サッカーで一点先取していながら、一点を取り返されたとき。イタリア人たちは「やっとゲームが始まった」と高揚し、「狼の口の中へ」飛び込んでいくのである。
彼らにとって、ゲームとは「点を取って、取られて、取り返す」ことであって、「単に点を取る」ことじゃないからだ。
ゲームは点を取り返されたときに始まる。
レースは抜き返されたときに始まる。
そう思える人は強い。
点を取り返されたとき、「失敗した」と感じれば、まるでゲームが終わってしまったかのように動揺することになる。そうすると、重ねて点を取られてしまう。実際に、ゲームは終わってしまうのだ。
抜き返されたとき、「失敗した」と感じれば、レースが終わってしまったかのように動揺することになる。そうすると、もうライバルを抜き返せない。実際に、レースが終わってしまうのである。
ゲームもレースも、挑む本人が「失敗した」と感じた瞬間に終わってしまう。
人生だって、同じだ。
日本人が「失敗」と呼ぶ事象のほとんどは、「人生をドラマティックにしてくれる、神様の演出」なのである。同じ事象を、「失敗」と呼ぶのと、「やっとドラマが始まった」と思うのとでは、天と地ほども違う。
単なる言語慣習の違いが、この国の若者を無駄に繊細にしてしまっている。
国際化が重要と言われて久しいが、この国に必要なのは、語学力よりも、失敗を失敗とも思わない厚顔さなのではないかしら。
「失敗」がドラマの始まりであることを、脳科学を使って証明してあげたい。
「孤独」が脳の成熟に必要不可欠であることも、証明してあげたい。
あなたが、英雄として歩き出すために。
あなたの人生は、あなたを主人公にしたものがたりなのである。
脳は、この世に生まれてきた以上、その脳だけの感性地図を描き続ける。同じ経験を持つ人が二人といないのだから、同じ脳神経回路を持つ人は二人といないのだ。だから、誰かの正解をなぞって満足するような脳なんて、この世にいないのである。
きみは、失敗を恐れるのだろうか。
「失敗したら恥ずかしい」と、一歩前に出るのを躊躇することが多いのだろうか。あるいは、してしまった失敗をくよくよ思いかえすのだろうか。そもそも「失敗」しないために、日々の努力を重ねているのだろうか。
だとしたら、バカバカしい。今すぐ止めなさい。
「失敗」は、脳の成長のメカニズムの一環で、必要不可欠な頻出イベントなのだ。いちいち落ち込んでいたら、脳が疲弊してしまう。それはあれだね、おしっこする度に落ち込んでいるようなものだ。
それでは、時空の果てまで届くような本来のきみの好奇心が萎えてしまい、日々の暮らしの中に埋もれてしまう。