美沙に勧められて『蕎麦吉』へ行った上杉は、戻るなり美沙の席へ直行した。
「ありがとう。常務に会えたよ」
その言葉と柔和な表情だけで、美沙は上杉も常務に元気づけられたのだと確信した。一週間前の自分も同様だったから。
「よかったです。チケット使えました?」少し気恥ずかしくなった美沙は、自身が渡したチケット(天婦羅サービス券)のことを自然と口にしていた。
「うん。イカ天うまかったよ。ありがとう」自ら礼を言わせたようで今度は少し恐縮するも、こうして普通に上杉と会話ができるようになったことはやはり嬉しかった。
その様子をひな壇の自席から不穏な目で眺める越野。またその様子を見つめるもう一人の男がいた。男は席を立つとまっすぐに越野の元へ向かった。
「越野部長、ちょっとよろしいでしょうか」
営業成績ナンバー1の三上だった。
「はい。場所は移した方がいいですか?」
「はい」
そして二人は中会議室へと向かった。越野の前に腰を下ろすなり三上は口を開いた。
「うちが買収されるって、本当ですか?」
「えっ?」越野はぽかんとした表情で三上を見つめている。
「部長、はっきりおっしゃってください。買収されてもされなくても、私は私の仕事をやるだけです。ただ、リストラの話も聞いたので、確認をしておきたいだけです」
「何を言っているのか話の筋がつかめない。たしかに、営業成績最下位のものを1名異動させる。だが、営業成績ナンバー1の君には関係のないことだし、ましてや買収なんて話はないよ」越野は嘲笑するように言った。嘘をついているようには見えない。「部長は何も知らされていないのだ」と三上は悟った。
「わかりました。お手間をおかけしてすみません。ちなみに、営業成績最下位と言ったら上杉くんですか?」
「いや、浅井さんだね。彼女自ら営業も兼務し始めたからね。申し訳ないけどまだ独身だし、異動してもらうには彼女が一番適してると思う。女性だしハングリー精神にも欠ける。彼女に受注は取れないだろう。その点、若いだけあって草加くんなんかはハングリー精神が凄まじいからね。彼には第二の三上くんになってもらいたいところだ」越野は腕組みをしながら満足そうに頷いた。
「そうですか。わかりました」三上は静かに言葉を紡ぐと同時に、何も知らされていない会社の駒でしかない越野を哀れに思った。そして坂井と草加とこの部屋で討論をした日のことを思い出していた。