他者の人生と向き合うことで、自分自身が試される
—— その人の人生に関わる、立ち止まって考えるとありましたけど、「まえがき」にもありましたね。「普段なんともなしに過ぎていく日々のあれこれや、すれ違ったきりもう二度と会うことのない誰かの人生に、ちょっとだけ勇気を出して踏み込んでみる」と。
大西連(以下、大西) そうなんです。でもこれって、僕自身と向きあうことでもあったんです。「あとがき」に書きましたが、相談にのる、その人の人生に関わるっていうことは、自分も見られるということなんですよね。その人の人生を知る中で、自分の振る舞いや生き方が試されるというか。自分のことを考えざるを得なくなるんです。本当に深い話を聞くので。
—— 非常にパーソナルですよね。
大西 生い立ちから職歴、生活歴、それに病歴とか受刑歴とか虐待歴まで。こんなの普通は聞かないし、話さないレベルの話を知ってしまう。それを知った上で何をするかが試される。しかも、場合によっては自分が相手より立場として強くなってしまう。例えばですが、役所に同行するかしないかを、こちらが決められてしまう。権力になるんですよ、何もないはずの若者なのに。そういう場にいる怖さはありました。ただ、もちろんその中でやっていくことの楽しさ、面白さ、やりがいのようなものもあるから、いろんな感情がない交ぜになっているんですよね。それをできるだけ正直に書きました。生活困窮者支援をやっていると、どうしても尊いだとか、聖人君主だとか言われかねないですから。
—— 意識高い人がやっているんだろうなと勝手に思っていました。
大西 そう思っている人はいるだろうし、もちろん、実際、そういう尊敬できる人もいますが。
—— この本の中の大西さんはそういうのとはまた違いますよね。
大西 僕は意識高い系ではないので(笑)。
—— きっかけが「たまたま友人に誘われて新宿中央公園の炊き出しに行って、そのままずるずると」っていうのも面白いです。
大西 だからこそ本当に悩みながらやっています。本当にこれでいいのかって。それは今も同じですが。
—— 悩みながら向き合い続けた5年間だったのですね。