登下校中、次の電柱にたどり着くまで息を止めていられたらラッキーなことが起きる、とか、いつもなぜか家の軒先に立ってるおじいちゃんが今日も立ってたらアンラッキー、とか。子供の頃はよくそんな風に、運命相手のくだらない賭け事をやっていた。通学途中の小学生、つまり私を除けば道を歩いている人間なんて滅多にいない、車移動がメインの町で、延々と続く田んぼビューに飽き飽きした田舎の子供が、苦し紛れに考え出した孤独な遊びである。
「電柱」とか、「じいさん」とか、街中の要素が限られているので妄想ですら華がなく、すぐに飽きる。で、飽きたらシミュレーションゲームをやった。ひとつは「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出ることになったら何を喋るか、そしてもうひとつは、私が死んだら葬式には誰が来て、どんな反応を見せてくれるのか。頭の中でこの2つの状況を想像し、繰り返しシミュレーションする遊びである。トーク力を問われる「笑っていいとも」に比べると、ただ死んで天国から見下ろしていればいい葬式の方が自分に優しいので、私は問答無用で葬式シミュレーションが好きだった。
架空の私の葬式では、それはそれはたくさんの人が不幸になった。父も母も妹も当然ながら大号泣。でも、あんまり近しい家族が悲しむのは自分も辛いので、この辺は適当にスルー。ちょっと遠い親戚とか、学校の先生やクラスメイトたちが悲しみに暮れる様子を想像してほくそ笑む。いつも憎まれ口ばかりきいてくる男子も、さすがにこのときばかりは打ちひしがれているし、中には密かに私のことが好きだった子もいて、その子は立ち直れないほどの深い傷を追っている。よく知らない近所のおじちゃんがやってきて、「毎日挨拶してくれるいい子でした」って泣くし、噂を聞きつけた教育委員会も「惜しい児童を亡くした」と泣く。私の死が、全世界を、出口のない深い悲しみに突き落とすことを、ただひたすら妄想しては、ほくそ笑んでいたわけである。
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