僕は一度アメリカへと戻った。こちらにもビジネスがあり、そうそうお留守にもしていられない。でもアメリカに帰ったからといって、この計画が止まってしまうわけではなかった。中西さんや由木さんとたくさんのメールをやり取りし、どんな学校を作りたいか、住環境はどうしたいか、だれがいくらずつお金を出すのか、役割分担をどうするかなど、さまざまなことを決めていった。また、その合間に電子書籍を1冊出版。時間が慌ただしく過ぎていった。
どんな学校を作るのか?
どんな学校を作るのかも、たくさんの会話の中でだんだん見え始めてきた。いろいろなアイデアがわいては消えたが、突きつめれば次の3点に集約された。
- どこよりも優れたカリキュラムを用意したい。
- どこよりも優れた教師陣をそろえたい。
- どこよりも清潔で快適な住環境の学校にしたい。
こうして考えてみると、やるべきことははっきりしていた。日系のホテルが頭上に建築されつつあるJセンターモール内に場所を確保し、日本クオリティーの学校を作ればよいのだ。学校のオープン目標は2015年の5月。8ヶ月間でそこまでいけるのかはわからなかったが、とにかくそこを目指して突っ走ることに決めた。
そしてその目標を達成するには、大きな障害があった。それはフィリピン労働雇用省技術教育技能教育庁(TESDA)の審査をパスすることだ。英語学校はつまりは一種の職業訓練校なわけで、それを営業するためには、フィリピン政府から認可を得なければならない。
このTESDAの審査内容には、カリキュラムはもちろんのこと、教室のレイアウトやデザイン、スタッフ、設立に必要な法的書類、経営、財政、税金面に至るまですべてが含まれるのだ。つまり、施設を完成させ教員も雇い入れた後でないと、申請さえできないということになる。
しかしこのTESDAの認定を得るのは容易ではないらしかった。半年かかった学校さえあるという。もしも施設ができ、賃料や賃金が発生してから半年もかかったら、いくらお金があったって足りはしない。このTESDA取得をいかに最短期間でやってのけるか。そこが大きな鍵となりそうだった。