終電が近いせいか、僕の他にも会場を出て階段を上ってゆく者達の姿がちらほらと見受けられる。イベント自体はオールナイトだけれども、最後までつきあえないという人もいるのだろう。イベント自体があわなかった人もいるのかもしれない。
僕もこのまま帰ってもよかったが、そうはしなかった。わざわざ招待して貰った義理があるし、それに、まだ何か楽しいことがあるかもしれないと、貧乏根性のような気持ちもある。
すぐ近くにセブンイレブンがあった。その出入り口の前に設置された灰皿のところで、身を切るような寒風に首をすくめながら一服する。酔いと人混みの熱気に火照っていた身体に冷気がしみ入り、ロングピースを一本吸い終わる頃には指先がかじかんでいた。そうして気持ちを切り替えると、再び地下の会場へと戻った。
相変わらずフロアでは身体を揺らして踊る人々が、その周りにアルコールのグラスを片手に談笑する人々が、そしてどこにも混ざれずに一人でいる人々がいる。流れる音楽の雰囲気がさっきと大分違う。タミさんの番が終わって、次のDJがブースに立っていた。あれは誰だろう? サイトに掲載されていたDJリストには、どこかで聞いたことのあるようなサイト管理人ばかりがいたから、僕も知っている人だろうけれども、顔と名前は一致しない。かかっている曲は、四つ打ちの目立つハウスミュージック。僕には曲名がわからないが、どこか聞き覚えがあるような気もするから有名な曲なのだろう。その筋肉質の人物は、カクテルグラスを片手に機材を操作している。
僕は壁際のスツールに腰を下ろした。さすがに目の前がくらくらとしている。今僕の脳は、さきほど摂取したアルコールとデパスに加え、煙草のニコチンにまで浸されている。人と比べてどうやら僕の精神は薬剤の効きが鈍いらしいという事実を最近知ったところだが、これだけ投与されればさすがに無影響というわけにもいかないらしい。
外界と内界の間に一枚膜が張ったようだ。目に映るものはめくるめく照明と音楽で騒がしいにもかかわらず、心はひどく静かで穏やかだ。これを文章に書くとしたら、どう例えたら具合の良い表現になるのだろう? なんというか、そうだな、まるで“すあま”みたいなんだ。和菓子屋で売ってる、あのピンク色の、歯ごたえにも味にもおよそ刺激というもののない、もったりとしたお菓子が、今の僕の精神だ。この喩えで、どれくらいの人に伝わってくれるだろうか? 大人になってこのお菓子のことを人に話すと、そもそも存在を知らなかったり、知っていても旨いとは思わないという感想が返って来たものだから、なかなかうまく伝わらないかもしれない。僕はあの抑揚のない味が好きだったのになあ。言葉は難しい。結局初めから同じものを持っていなければ本当の意味は伝えられない。とても簡単なことを、とても簡単な言葉で言ったつもりでも、悲しいほどに通じない相手もいるものな。とにかく、今の僕は目に映る世界の全てが自分と無関係になってしまって、心にちっとも干渉しないんだ。元々人混みのなかで一人きりになるのは好きな方だったけれど、その普段の感覚とも違う。ああ、これは随分と楽なものだ。けれどもひどく人工的だ。タミさんがよく言う、「向精神薬は馬鹿になる薬だ」というのはこの感覚のことなのかな? 違うかな? 考えながら、手の中のジントニックのグラスをちびちびと飲んで、この浮遊した高度の維持につとめる。
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