煽り文句などではなく、まさに衝撃的な一冊としか言いようがない。赤裸々な設定、内容、描写で知られる窪美澄さんではあるけれど、その新作は、読む側の予想をはるかに凌駕するものだった。
題材にとられたのは、1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件。日本の現代史の転換点のひとつでもある大事件を、フィクションによって再構築しようというのは、途方もない試みではないか。
下手をすれば、これまでのファンを裏切る恐れだってあるかもしれない。社会的な批判の渦に巻き込まれるかもしれない。それでもあえて、あの事件を小説に書こうとおもった動機とは? 書き進めるうえでの葛藤は? 書き終えた現在の心境と反響とは? 本人の言葉によって知りたいことが、山のようにある。
神戸を舞台に、14歳の少年が幼児を殺害する。そんな事件が扱われるのが『さよならニルヴァーナ』です。となれば、当然だれしも、1997年に起きた事件を思い起こします。なぜ、この題材で小説を書こうとおもわれたのですか。
2010年にデビューして以来、たくさんの編集者とかかわってきました。そのなかのひとりに、週刊誌で事件記者の経験を持つ方がいました。お話していると、1995年が日本の変わり目だったとその人はいう。阪神大震災があって、地下鉄サリン事件が続いた。そして2年後には神戸で少年Aによる殺人事件が起きる。その編集者は当時、事件のあった神戸市須磨区の街へ取材に行ったそうです。
そこはごくふつうの、大都市の近くによくあるベッドタウンだった。こんもりとした山があって、少年Aが死体を隠したタンク山の貯水タンクまわりは、やたら植物が繁茂していて、しんと静かで奇妙な感じだという。私はそこへ行っていないのに、聞いているだけではっきりとした「絵」が頭のなかに刻み込まれました。
その「絵」を、小説として展開させようとしたのですか。それにしても、なぜいま、このタイミングで作品にしようとしたのか。
2011年の東日本大震災も、世の中がひっくり返るような出来事でしたよね。そのときに、90年代のことを私は思い出しました。想像を超える出来事は、人にさまざまな影響を及ぼすもののはず。じつは少年Aも、神戸の大震災を経験しているんですよね。身内が神戸にいて、届け物をしに行ったりしていた。文字通り街がひっくり返ってしまった様子を目の当たりにしたことは、その後の彼の気持ちに何らかの影響を与えたんじゃないか。そう考えたところから、執筆がスタートしましたね。
2011年の震災によって、90年代の災害や事件がまたありありと甦ってきた……。
そうですね。作家デビューしてすぐに東日本大震災があって、私の書くものの多くには常にその影があります。あんな出来事を繰り返し映像や写真で観てしまうと、いったいフィクションって何だろう、よほどフィクションとしての力を強めて出していかないと、とうてい人の心に届かないんじゃないかという気持ちになります。そういうことが、デビューしてすぐのタイミングで、覆い被さってきた。作家をやっていくうえで、これは決して無視できないものです。
今作の発売直後のこと。衝撃的な本が出版されましたね。『絶歌』(太田出版)です。元少年Aによる著作。あまりにもタイミングが被っていて驚きです。
まったく知りませんでした。タイミングが重なったのは完全に偶然です。
影響は、当然ありそうですね。
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